第2章(10)立候補のリスク・コストが小さく、リターンが大きい

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
 (コラム)イギリス議会の採決
 (8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す
 (コラム)連立政権における政策決定過程
 (9)キャリアの早い段階でフロントベンチャーが選別される
 (コラム)晴れ舞台としてのクエスチョンタイム
 (10)立候補のリスク・コストが小さく、リターンが大きい
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 「キャリアの早い段階でフロントベンチャーが選別される」でふれたように、イギリスでは、若くして政治・政策の中心で働く機会が与えられ、政治的なキャリア意識を持つ優秀な人材の青田買いが行われる。このようにして、政治家になることがキャリアの選択肢の一つとなった彼らにとって、庶民院議員に立候補するということのリスク・コスト・リターンはどのように計算されるのであろうか。日本との比較で考えてみたい。

 まず、イギリスでは立候補することによるキャリアに対するリスクは相対的に低い。背景にあるのは、イギリスと日本での労働市場の違いだ。イギリスの労働市場は非常に流動的で、人々が転職を重ねながらキャリアアップすることが普通である。一方で、少しずつ状況が変わってきているとはいえ、霞が関の官僚や日本の大企業では、まだまだ終身雇用が基本である。さらに、イギリスで立候補する場合には、仕事を辞めずに週末と有休で選挙活動を行うことが一般的であることに対して、日本では仕事を辞めて候補者というフルタイムの仕事に就くこととなる。したがって、イギリスではそもそも仕事を辞めて立候補するわけではないので、立候補する時点で失うものはせいぜい、週末の遊びである。仮に一期だけ庶民院議員を務めてその後落選しても、流動的な労働市場が前提なので、それなりの会社のそれなりの良い仕事の機会が、生え抜きではない外部の人材にも存在する。一方で、日本の場合はそれこそ自らのキャリアを賭して立候補するため、仕事を辞め、霞が関や大企業に残っていればあったかもしれない幹部職員への道を閉ざして立候補することとなる。候補者本人のキャリアにとって、どちらの方がリスクが低いかは明らかであろう。

 次に、イギリスでは立候補することの金銭的・時間的なコストも小さい。立候補することに伴うお金は、選挙活動資金そのものと、選挙で規定の投票率を満たせなかった場合に没収される供託金である。政治資金の規制には、誰からいくら資金をもらうかという入口の規制と、その資金を何にいくら使うかという出口の規制がある。イギリスの政治資金の規制の特徴はこの出口の規制の強さにあり、法定の選挙期間中に支出できる選挙資金の費用総額が、選挙区により異なるが、一選挙区当たり約600万円(約4万ポンド)前後と厳しく規制されていて*1、それらは基本的には政党支部が負担することとなる。その結果、候補者本人の支出は、自らの勤務地と選挙区の間の交通費や宿泊費程度だ。週末のたびに何度も往復することを考えると、決して小さな金額ではないが、何千万円という資産が必要ということではない。彼らは自分の仕事の給与からやりくりをして勤務地と選挙区を往復している。それに対して、日本の選挙活動で必要な資金は以前に比べると大きく低下してきているといわれるが、それでも選挙区当たり数千万円単位で候補者が家財をなげうって負担することが伝統であった。また供託金についても、イギリスでは小選挙区で5%の得票を得られない場合には約8万円(500ポンド)の供託金が没収されるが、日本の場合は10%の得票を得られない場合に300万円の供託金を没収される。さらに、時間的なコストという点でも、仕事をしながら週末と有休で賄える程度の時間を割くのと、仕事を辞めて候補者というフルタイムの仕事をするのとでは、大きくその時間的コストも異なる。キャリアに対するリスクと同様に、短期的な金銭・時間コストについても、イギリスの候補者の方が負担が少ないことが分かる。

 一方でリターンについて目を向けてみると、イギリスで立候補することのリターンのスピードが速く、かつ、出世・引退後のリターンが大きい。前述のとおり、イギリスでは早ければ一期目の議員にして閣内大臣になることもあり、二期目の議員が閣内大臣になることは決して珍しくない。良いか悪いかは別として、その出世のスピードは日本を凌駕している。そして、イギリスの政策決定が日本と比べてかなり政府主導で行われるため、大臣職やシャドウキャビネットに昇進するということは即ち、より大きな権限を手にするということを意味する。ただしこの点は、政策決定の権限がより集中しているか分散しているかというだけなので、日本の方がより薄く広くリターンがあるともいえる。庶民院議員の引退後のキャリアでは前述のとおり、貴族院議員や民間企業役員、ロビイング会社、シンクタンクなどの魅力的なエグジット先がある。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という、大野伴睦氏の有名な言葉に象徴される日本とは大きな違いがある。

 このように見てみると国会議員に「立候補」するということのリスクとコスト、リターンを計算すると、イギリスの方が、リターンがリスクとコストに見合っているといえるのではないだろうか。一般市民にとってどちらが良いのかは分からない。日本のようにリターンがリスクとコストに見合っていないからこそ、立候補するには相当の覚悟が求められ、良いスクリーニングができていると考えることもできるかもしれない。ただ一般論として、何かに厳しい基準を設けるということは、それによって逆の選抜が働くことがあるのも事実である。成人君主だけに政治家になってもらいたいのか、もっと普通に国に貢献したいと思っている人が政治家になっても良いのか、ここではその価値観が問われている。そして、一般市民である我々もそのいずれかを決めるレバーの一つを握っている。イギリスと日本の間のリスクとコストの違いの、根本的な原因の一つに、有権者の投票行動の違いがあるからである。「あのリーダーであのマニフェストを掲げるあの政党の候補者だから投票する」のか、「知っている、握手をしたことがある、頑張っている候補者だから投票する」のか、その違いである。

*1:2010年の総選挙から公式期間の前の事前活動における選挙資金についても、金額の規制がされるようになった。その背景には、アッシュクロフト卿や保守党の大規模寄付者が、2005年の総選挙において、マージナルな選挙区に大量の資金をつぎ込んだことがある。しかしながら、政党支部ではなく政党本部の資金により事前活動を行うことができるという、抜け道が残されたことで、実質的にはあまり機能していないとも言われており、選挙における資金力の影響力が高まっている。