終章(4)拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (2)イギリス政治と日本政治の変化の背景にはソフトな社会構造の変化がある
 (3)統治機構の議論に「答え」はない
 (4)拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか

本文
 本連載では、日本とイギリスの政策変更の傾向と、その要因としての統治機構の相違を、総じて、現状維持か現状変更かという視点で捉えてきた。それを改めて、政策変更の度合いということではなく、統治機構における権力の所在という観点で考えると、現在、議論されている統治機構に対する議論の多くは、以下の3つの視点での議論に収斂するのではないだろうか。

 一つ目は、統治機構における政治・行政と有権者との間の権力の所在である。特に、民主主義の間接性については、日本においてもイギリスにおいても、見直しの動きが少しずつでてきているのではないか。日本では国民投票法が2014年に改正され、現実の政策の意思決定について、国民投票にそれを委ねるという選択肢が現実のものになりつつある。また近年、地方においては、住民投票を政策の意思決定の手段として活用する動きはますます活発になっている。20世紀の住民投票原子力発電所の建設や産業廃棄物処理施設の建設など、リスクを伴う建設計画に対する賛否を問う住民投票が主であった。しかし、2010年代に入ってからの住民投票はその数が急激に増えると共に、内容としても、大阪都構想のように統治機構そのものを問う住民投票があったり、病院や図書館の建設、小中学校のエアコン設置など、より生活に密着した建物の建設・改修計画を問う内容が増えてきたこともその特徴である。イギリスにおいてはその動きはより顕著である。2016年に欧州離脱の国民投票が行われ、イギリス国外の多くの有識者からは想定外だった欧州離脱という民意が示された。それだけではなく、スコットランドの独立問題が長年くすぶり続ける中で、法的拘束力をもつ形で、独立をかけた住民投票が行われた。スコットランド独立の住民投票は、最終的に否決はされたものの、イギリスの二大政党が結束して否決を訴える中でも運動が盛り上がり続け、残留派にとっては薄氷の勝利となった。

 二つ目が、統治機構における政治・行政の中の権力の所在である。権力の所在については、本連載が焦点を当てて論じてきたように、国政レベルにおいては、日本は比較的分散構造だったものが、イギリスのような集権構造に近づきつつある。イギリスの国政は逆に、集権構造であったものが、少しずつではあるが分散構造になりつつある。他方で、国と地方の関係においては、日本は分割関係、イギリスは統合関係にある。すなわち、国政レベルではイギリスの方が集権構造で変化を起こしやすい一方で、国と地方の関係においては、日本の方が権力の分割関係が強く、トライ・アンド・エラーやそれによるイノベーションが生じやすい環境にある。国においては権力の集権化が進む一方で、国と地方の関係においては権力の分割は漸進的な動きにとどまっているのが現状である。

 最後の三つ目が、統治機構における政治・行政に関わる人材の権力の所在である。特に、その職すなわち権力の流動性については、少しずつ変化があり、また、その重要性が指摘されるところでもある。この点はイギリスにおいては既に流動性が高いこともあり、どちらかというと、日本における変化が注目される。政治家については、大臣就任時の当選回数や、落選以外の理由での自発的な議員辞職の年齢を考慮すると、国会議員の間で統治機構に関わる人材の流動性が高まってきているとは言いづらい。他方で公務員については、社会全体の雇用の流動化とも相まって、極めて少しずつではあるが、人材の流動性が高まってきている。その是非はともかく、さらには負の要因の大きさもともかく、国家公務員においては、人材の流動性が徐々に高まってきていることは事実のようだ。日本経済新聞の記事によれば(2020年3月追記)*1、転職サイトに登録する国家公務員の数が右肩上がりである。この流れについても、国家公務員の相対的な待遇が継続的に低下していること、国家公務員の社会的な地位や信用が継続的に低下していること、国家公務員の仕事の裁量の余地が継続的に低下していることなどを考えると、構造的なトレンドであるとみなすことが妥当であろう。この構造的なトレンドは所与のものとするなら、現状を守ろうとする取組にはあまり効果がないことは明らかであり、いかに、攻めに転じて価値を創出するかにかかっているのではないだろうか。

 統治機構の議論に「答え」はない、ということについては前節で述べた通りである。しかしながら、現状維持を目指すのか、現状変更を目指すのか、言葉を換えれば、拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか、そのことにスタンスを取った際、本節で議論したような統治機構の論点に対する方向性にも、その是非を論じることができるのではないだろうか。

(完)

終章(3)統治機構の議論に「答え」はない

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (2)イギリス政治と日本政治の変化の背景にはソフトな社会構造の変化がある
 (3)統治機構の議論に「答え」はない

本文
 近年の日本の衆議院選挙では、全体からみればわずかな有権者の投票行動の変化で、選挙結果全体が大きくスイングする様をとらえて、小選挙区制への疑問が呈されることが多い。また、イギリスでは長期的な二大政党の支持率低下傾向や、その死票の大きさを指摘して、小選挙区制への疑問が呈されている。他方、比例代表制であれば、政党が得票率に応じて議席を配分するため、死票の割合が限りなく小さくなるが、他の問題が指摘される。全国区の比例代表制では、地域を代表する議員がいない、議員と有権者の距離が遠くなる、少数与党が乱立して政権運営が難しくなる、などなどである。

 このように、選挙制度の在り方は、何が「あるべき姿」なのかということに対する、理論的な答えがない。直感的には、世界の統治機構の在り方が各国各様であるという事実からも、唯一絶対の答えがないことの傍証ともいえる。理論的には、社会選択理論にその答えがない。

 もっと広く言えば、選挙制度は民主主義の一部であるが、民主主義も統治機構の一つの形態に過ぎない。その民主主義についてウィンストン・チャーチルは「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」と言い、民主主義そのものも前提とするべきではないことを示唆する。

 第5章における日本とイギリスの比較は、「国家を統治する仕組みやその制度」を意味する統治機構のうち、国会と中央政府によりその焦点を当てて行ったものである。そして、その目的について「表面的にイギリスの制度を単純に輸入することではない。(中略)イギリス政治の研究はあくまでも、日本の政治を明らかにするための鏡である」と記した。そして、そこから浮かび上がってきたことは、「(イギリスとの比較で)日本の首相には大胆な政策変更が難しい」という統治機構の特徴の、構造的な要因であった。

 理由が明らかになるということは、それを変えるための方策についても知見が得られるということだが、一歩下がって考えた時に、われわれは今、「日本の首相が大胆な政策変更をしやすい」制度を目指すべきなのか。理論的な答えがない中で、われわれは、どちらの方向性をめざすべきなのだろうか。統治機構は短期的にあれこれ変えることができるわけではなく、制度変更にも長い時間がかかる上に、制度変更に対して運用や社会の行動が適応していくことにも長い時間がかかる。そのため、より長期的な傾向として、日本を取り巻く政策課題は、中長期的な安定を重視して現状維持を基本とするものなのか、環境変化に対して短期的に適応ができる現状変更を基本とするものなのか、そのような視点で考えることが必要なのではないか。

終章(2)イギリス政治と日本政治の変化の背景にはソフトな社会構造の変化がある

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (2)イギリス政治と日本政治の変化の背景にはソフトな社会構造の変化がある

本文
 ではなぜ、イギリス政治の日本化や、日本政治のイギリス化とも言えるような現象が、イギリスと日本において生じているのだろうか。ここでは、第5章でまとめた、「イギリスの首相が大胆な政策変更を行いやすい構造の構成要素」に沿って、日本とイギリスにおける構造的な変化について見てみたい。

 まず、よりハードな構成要素と位置付けた憲法選挙制度については、日本においてもイギリスにおいても、近年変化はない。

 次に、議会制度・行政機構については、様々なところで指摘されている点であるが、重要な変化が日本に生じている。それは、内閣人事局の創設による審議官以上の人事異動の「政治化」である。霞ヶ関の上級職は今も変わらず政治任用は限られている。霞ヶ関には多くの顧問・参与が政治任用されているが、彼らは非常勤の特別職であり、通常は行政機構のライン上の権限がない。その点でイギリスとの違いはあまりないが、審議官以上の人事異動について、官邸の権限が及ぶこととなり、官邸と霞ヶ関の上級職の関係は大きく変容した。

 政党組織についは、内閣人事局のような制度に関する大きな変化が生じていないものの、イギリスに近い形への変化が、漸進的にではあるが日本に生じている。まず、党首選挙における党員票割合の漸進的な増加が上げられる。相対的に議員票の占める割合が下がり、派閥を組むことの相対的な重要性は弱まりつつあり、与党議員の影響力も相対的には下がりつつある。また、公認候補選出過程における「公募」要素についても、漸進的に増加が進んでいる。さらには、候補者個人の後援会という色彩が強かった政党支部から、より組織的な支部へ漸進的に変化しつつある。他方、イギリスについては政党組織に関する目立った動きはない。

 最後に、もっともソフトな構成要素と位置付けた有権者については、日本においても、イギリスにおいても、見逃すことができない変化が生じてきている。日本では、世代間・地域・学歴格差による社会構造への亀裂の表面化に加え、有権者における個人票から政党票への漸進的変化が生じている。特に、有権者の投票行動の変化は、首相と与党議員の合の関係に重要な意味合いを持つことは、本連載でこれまで述べた通りである。図1に示す通り、日本でも小選挙区制の導入を契機に、有権者が候補者個人よりも政党に重きをおいて投票する割合が高まっている。

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[図1] 日本の有権者の投票行動の変化

 そして、この投票行動の変化は、構造的な要因によりもたらされており、今後ますます、日本も有権者が候補者個人ではなく政党又は党首に投票する傾向が高まるものと考えられる。その理由は、図2及び図3に示す通り、マクロでの有権者の投票行動の変化は、投票に参加する有権者の世代間の入れ替わりによって生じている可能性が高いからである。そして、世代としての人口が最も多い団塊の世代が、あと10年ほどで、低投票率が急激に下がる85歳以上となることから、変化の加速が見込まれているということだ。こうした変化が、前節における日本政治のイギリス化をもたらす要因になっているのではないか。

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[図2] 日本の年齢別投票率
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[図3] 日本の年齢別投票率

 イギリスの有権者にはどのような変化が生じているだろうか。イギリスでは元来、固定的な階級社会があり、それに根差した二大政党の安定的な支持基盤があることは既に述べたが、その階級社会そのものが、近年では、社会的な流動性の高まりとともに消失の傾向にある。また、有権者の多様化や社会構造の複雑化に伴い、二大政党の得票率が一貫して下がり続ける中で、自民党地域政党、シングルイシュー政党などの第三局が議席を伸ばした結果、結果的に、政権与党の議席数が過半数を大きく超えることが少なくなってきた。こうした変化が、前節におけるイギリス政治の日本化をもたらす要因になっているのではないか。

 まとめると、ハードな構成要素については日本もイギリスも大きな違いはないが、よりソフトな構成要素については漸進的な構造変化が続いていることに加えて、日本においては内閣人事局の創設が、政と官、とりわけ官邸と高官の関係ついて大きな変化をもたらしていることがうかがえる。

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[図4] 日本とイギリスにおける構成要素の変化

 ハードな構成要素については、現状のところは大きな変化の兆しがないが、日本とイギリスにおける、ソフトな構成要素の変化は、有権者の投票行動でも示したように、大きなトレンドとして今後も続くことが予想される。そのような社会構造的な変化ではないにせよ、今のトレンドが続くのであれば、日本については特に、霞ヶ関の政治任用ポストや国会議員の政府ポスト増加等の霞ヶ関の「政治化」、党首・代表選挙における党員票の拡大による政党組織の「民主化」、小選挙区候補者を中心とする国政選挙の公認プロセスへの介入による政党幹部の「集権化」という流れは、今後もさらに進むこととなる。その意味では、大きな流れとしては、イギリス政治の日本化と、日本政治のイギリス化はますます進むのかもしれない。

終章(1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 目次に記載した通り、本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。ここまでの記載内容については、少しずつ、日本とイギリスのそれぞれにおける変化についても振れてきてはいるが、基本的には、2015年9月時点のスナップショッでの、静的な比較を行ってきた。第5章では、構造的な理由により、「イギリスの首相は自らの設定したアジェンダに則って、大胆に政策変更をすることが比較的実行しやすい」ということを示し、ある意味で日本とイギリスの違いを強調した。

 しかしながら、現実の統治機構は当然のことながら、日本においても、イギリスにおいても、その制度も運用も、それをとりまく外部環境も、少しずつ変化してきている。そのように、日本とイギリスの統治機構を動的に捉えるならば、イギリス政治は徐々に日本化が進んできているとも捉えられ、また、日本政治は徐々にイギリス化が進んできているとも捉えられる。本節では、日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治とも捉えられる、表面的な現象について振れたい。

 まずイギリスにおける現象である。1つには、ブレア政権の終焉と共に、二大政党のマニフェストにおける対立軸が薄まってきていると言われている。無論、細かな違いは多々あるものの、イギリスのシンクタンク研究員によれば、労働党政権から保守党・自民党連立政権への政権交代が起きた2010年の総選挙において、保守党と労働党マニフェストに大きな違いがなかったと評価されている。「リーマンショック後の財政危機に対してどのように財政再建を行うか」ということが選挙の最大の争点であったが、保守党も労働党も緊縮財政を掲げており大きな違いがなく、敢えていうとすれば、保守党は1期5年で財政再建を行うために徹底的な緊縮財政を主張したことに対して、労働党は2期10年での軟着陸を目指す財政再建を打ち出していた。2つには、政策決定過程におけるバックベンチャーのインフォーマルな影響力が上昇していることが指摘されている。保守党の1922委員会には事前承認機能がないことはこれまで通りではあるが、インフォーマルな議論の中で、よりバックベンチャーの意見が政策に反映されやすくなっているということが、バックベンチャー自身から指摘されている。3つには、こうしたインフォーマルな影響力の上昇を反映して、メディアにおけるバックベンチャーのプレゼンスも上昇しているということだ。このようにイギリスにおいては、二大政党の政策上の違いが不明瞭になりつつあり、さらには、バックベンチャーのインフォーマルな影響力とフォーマルな存在感が増しているという点において、日本政治に近づいてきている。

 次に日本における現象である。1つには、2012年に発足した安倍政権が2018年9月現在で既に5年半を超える長期政権になってきている。これは、バブル崩壊以降、連続在任期間が最も長かった小泉元首相の5年6カ月を既に超えているし、小泉元首相以降の政権がいずれも1年程度の短命政権が6代続いたこととは対照的である。そして2つに、長期政権の要因の一つでもあるが、スキャンダル等で内閣支持率が下がっても政権が倒れないほど、政権が強い。財務省の公文書改ざんが発覚するほどの事態にまで発展した森友・加計問題でも、安倍政権は倒れなかった。さらには3つに、その長期政権の内容が安倍1強とも言われる、官邸主導の政権運営に変質している点も、55年体制時代の自民党政治とは大きく異なることが指摘されている。集団的自衛権の一部行使の容認や、安保関連法案の成立、「共謀罪」の構成要件を改める「改正組織犯罪処罰法」の成立など、世論を二分するような影響の大きな政策変更を次々と行った。このように、スキャンダルでも倒れない長期政権が続き、その政権の中で首相による政策変更が大胆に行われている点で、日本政治はイギリス政治に近づいてきている。

第5章(8)なぜ、日本の民主党はイギリスモデルの輸入に失敗したのか

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
 (1)日本の民主党政権ではイギリス式の政策決定プロセスの導入に挫折した
 (コラム)LSEのキャップストーン・プロジェクト
 (2)拒否権プレイヤーのフレームワーク
 (3)イギリスは拒否権プレイヤーが少なく、好みが似ている
 (4)イギリスの首相/党首は拒否権プレイヤーに強い影響力持つ
 (5)イギリスの有権者は、政策への影響力が限られている
 (6)イギリスの地方議員とロビイング団体も、政策への影響力が限られている
 (コラム)イギリスのシンクタンクのトレンド
 (7)結果として、イギリスの首相は「公選独裁者」とも呼ばれる権力を得る
 (8)なぜ、日本の民主党はイギリスモデルの輸入に失敗したのか
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 ここまでは、イギリスの首相の方が日本の首相よりも大胆な政策変更が行いやすい理由について述べた。ここでは、こうした理解に基づいて、私が留学時代にイギリスに留学先を変更した際の問いの後半である「日本の民主党政権がイギリスから取り入れようとした制度はなぜうまく機能しなかったのか」という問いについて答えたい。ここでは特に、民主党が掲げた政官の接触禁止と政策調査会の廃止が、野田政権の末期には自民党時代の状態に回帰していた理由に焦点を絞る。

 まず、政策調査会が復活して、事前承認制に回帰したのはなぜか。政策調査会は2009年まで、野党時代の民主党内の政策審議・決定機関として機能してきた。自民党には政務調査会という名の似たような機関があり、民主党政策調査会も元々はこれをモデルとして作られたものと考えられる。そして、民主党政権交代を実現した2009年、与党による政策の事前承認制が派閥政治や利権政治の温床であると批判してきた民主党は、政府与党の一元化を目指して政策調査会を廃止した。しかし2010年に鳩山首相が退陣を表明すると、民主党内の代表選挙で菅直人は、事前承認ではなくあくまでも事前審議の場として政策調査会を復活させることを党内への公約に掲げて首相・代表に就任した。さらに、2011年に菅首相の退陣に伴って首相に就任した野田首相は、政策調査会を事前承認の場として復権させた。

 これまで見てきたように、日本の統治機構の中では、拒否権プレイヤーである与党議員に対する首相・政府の影響力が低い。乱高下する支持率のハネムーン期間を過ぎると、政権側にはその求心力がなくなり、与党議員へのコントロールが効きづらくなる。そのため、政府提出法案を閣議決定する前に、事前に与党議員と調整して承認するプロセスを経なければ、法案審議が難航することとなる。2009年の政権交代直後の熱気が冷めた2010年、民主党政権は戦後最低となる5割強の法案成立率を記録した。もちろん、ねじれ国会の困難もあったであろうが、政権交代前のねじれ国会での自民党政権は8割から9割程度の法案成立率を維持した。ほとんどの場合は造反という目に見える形ではないが、そこには至らない目に見えない形で、与党議員が抵抗力を発揮したとみるべきだろう。

 ひるがえってイギリスの場合には、保守党に1922委員会というバックベンチャーのための機関があるが、事前承認機能を持たないことは既に述べた。それは逆に言えば、与党議員との事前調整・承認というプロセスを経なくても、政府提出法案を高い確率で成立させることができる首相・政府の権力の強さを物語っている。かつては「首相を呼び出す」と言われるほど影響力が強かった1922委員会だが、20世紀全体を通じて、徐々にその影響は力弱体化し、逆に首相の権力は強大化していった。その過程における、首相・政府側による改革内容がまさに、首相の影響力の源泉として指摘してきた、議会運営の主導権の議会から政府への移転や、政府ポジションの増加、党首選挙の民主化、マスメディアの影響力拡大に伴ってその度合いを増した党首・政党中心の有権者の投票行動である。

 こうした、日本とイギリスにある、首相・政府による与党議員に対するコントロールという本質的な違いを無視して、与党議員による事前承認というプロセスを廃止したことは、非合理的だったということと理解できる。

 そして、政官の接触禁止が事実上撤回されていったのはなぜか。それは、端的に言えば政官の接触を通じて、官僚が与党議員に調整をして周らないと、政策論議が前に進まなかったからであろう。与党議員との事前の政策調整が重要である一方で、大臣をはじめとする政務三役は国会審議や行政府での本業で拘束され、与党議員と調整をする時間もない。イギリスであれば政策領域ごとの院内幹事が調整をして周ることも可能だが、日本にはそのようなリソースもなかった。至れり尽くせりで極めて円滑な事前準備を求める日本の文化も、人的リソース不足に拍車をかけたかもしれない。結果的に、官僚に頼らざるを得ない構造から脱却することができず、「自民党政権時代に限りなく近い」と言われるシステムに回帰した。

 イギリスのように与党内の事前承認制がなく、政官の接触が禁止されていることが望ましいかどうかは別問題である。だが、仮にそれが目指すべき正しい道だったとして、民主党はその実現に失敗した。その理由は統治機構の上位構造を無視した、表面的な違いの指摘と是正から生じたのである。

第5章(7)結果として、イギリスの首相は「公選独裁者」とも呼ばれる権力を得る

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序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
 (1)日本の民主党政権ではイギリス式の政策決定プロセスの導入に挫折した
 (コラム)LSEのキャップストーン・プロジェクト
 (2)拒否権プレイヤーのフレームワーク
 (3)イギリスは拒否権プレイヤーが少なく、好みが似ている
 (4)イギリスの首相/党首は拒否権プレイヤーに強い影響力持つ
 (5)イギリスの有権者は、政策への影響力が限られている
 (6)イギリスの地方議員とロビイング団体も、政策への影響力が限られている
 (コラム)イギリスのシンクタンクのトレンド
 (7)結果として、イギリスの首相は「公選独裁者」とも呼ばれる権力を得る
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 結論を繰り返すと、このようにイギリスでは、拒否権プレイヤーの構成からして政策変更が行いやすい構造である上に、首相による拒否権プレイヤーへの影響力が強く、かつ、有権者や地方議員というその他の主要プレイヤーの影響力が弱い。それにより、イギリスの首相は自らの設定したアジェンダに則って、大胆に政策変更をすることが比較的実行しやすい。こうしたイギリスの首相の強大な権力を揶揄して、イギリスの政治制度は時に「公選独裁制(elective dictatorship)」とも呼ばれている*1

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[図1] 拒否権プレイヤーとそれをとりまく重要プレイヤーの日英比較のまとめ

 本章ではここまで、主要なプレイヤーごとに、イギリスの首相がなぜ大胆な政策変更を行うことができるのか、日本との比較によって論じてきた。こうしたイギリスと日本との違いは、これまで見てきたように、二院制の違いというような非常にハードな制度面での違いから、有権者の投票行動というソフトな文化面での違いまで多岐にわたる項目にわたる。こうした根源的な違いの要素を、ややデフォルメして改めて整理すると図2のようになる。

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[図2] イギリスの首相が大胆な政策変更を行いやすい構造の構成要素

 この表には、事前承認制があるかないかという政党内の政策決定プロセスの違いや、政官の接触があるかないかという政治と行政の関係の違い、派閥があるかないかという議会政党の性質の違いなどは含めなかった。これは学問的に厳密な議論を経ているわけではないが、こうした非公式なプロセスや手続き、行動パターンなどは、日本とイギリスの根源的な違いとは考えていないからである。あくまでも、表に挙げたような日本とイギリスの違いが上位構造にあり、そこに規定される下位構造として、こうした非公式プロセスや手続き、行動パターンの違いが生じていると考えている。ある意味で、表に挙げたような上位構造があった時に、現状の非公式プロセスや手続き、行動パターンはきわめて合理的であり、その意味で必然的である。もちろん、現実はそこまで単純に上位構造と下位構造という二元論では説明しきれず、要素間の相互作用もあるだろう。だが、ここで言いたいことの本質は、こうした非公式プロセスや手続き、行動パターンは、あくまでも表面的な違いであり、それだけを変えることはかえって非合理的であったということだ。ここに、民主党政権によるイギリスをまねた改革の多くが失敗した理由がある。最後に、この点を解説して本章を締めくくりたい。

第5章(コラム)イギリスのシンクタンクのトレンド

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
 (1)日本の民主党政権ではイギリス式の政策決定プロセスの導入に挫折した
 (コラム)LSEのキャップストーン・プロジェクト
 (2)拒否権プレイヤーのフレームワーク
 (3)イギリスは拒否権プレイヤーが少なく、好みが似ている
 (4)イギリスの首相/党首は拒否権プレイヤーに強い影響力持つ
 (5)イギリスの有権者は、政策への影響力が限られている
 (6)イギリスの地方議員とロビイング団体も、政策への影響力が限られている
 (コラム)イギリスのシンクタンクのトレンド
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 イギリスのシンクタンクはその数や規模、プレゼンス、影響力という意味で拡大を続けている。イギリスのシンクタンクは、従来は、キャンペーン活動に重点を置くものと、リサーチ活動に重点を置くものに分かれ、リサーチ活動に重点を置くものも、より学問的な研究に重点を置くシンクタンクと、具体的な政策提言に重点を置くシンクタンクに分かれていた。最近のトレンドとしては、もともとキャンペーンとリサーチのどちらに重点を置いていたかに関わらず、キャンペーンとリサーチの双方を重視する傾向があり、全体としては規模が大きくなってきている。右派のシンクタンクで言えば、IEA(Institute of Economic Affairs)はリサーチ活動に重点を置いていたが、近年はメディアチームが大きくなっており、CPS(Centre for Policy Studies)や、ASI(Adam Smith Institute)も同様である。逆にTPA(the TaxPayers' Alliance)は、もともとはキャンペーン活動に重点をおいていたが、リサーチの比重を高めている。左派のシンクタンクである38 degreesやDemosなども、キャンペーンとリサーチの双方を重視する方向に変化してきている。

 このようなトレンドの背景には3つの要因がある。1つには、TPAなどのキャンペーン活動に重点をおいていたシンクタンクの成功により、他のシンクタンクの寄付者たちがその寄付に見合う価値 (value for money) の観点からキャンペーンを重視するようになってきたことが挙げられる。2つに、イギリスにおける政策決定過程が、ウエストミンスターにおける少数の人物の議論で決定される仕組みから、より民主的で刹那的なメディアに反応する政策決定に変質してきており、それに対応するためにキャンペーンが求められるようになってきた。3つに、メディア各社のコスト削減により、記事を書くための時間もお金も乏しくなり、シンクタンクの用意する明快なプレスリリースなどに頼って記事を書くようになってきている。このような背景の象徴である具体的な政策実現の実例としては、ビール税が挙げられる。新聞紙のサンに取り上げられたことが大きく、その他、パブグループやウエストミンスターのパブなどでのキャンペーンが功を奏したのではないかと言われている*1

 シンクタンクの考え方のフレームワークとしては、(1) 理想的な政策は何か (what's the ideal policy)、(2) 誰がそれを決めるのか (who decides it)、(3) 誰がそこに影響力があるのか (who influences them) が一般的であり、それにそってキャンペーンを展開する。シンクタンクのキャンペーン活動としては、プレスリリース、チラシやバルーンなどの小物、署名活動、MPへの陳情活動などがあげられる