終章(4)拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (1)日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治
 (2)イギリス政治と日本政治の変化の背景にはソフトな社会構造の変化がある
 (3)統治機構の議論に「答え」はない
 (4)拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか

本文
 本連載では、日本とイギリスの政策変更の傾向と、その要因としての統治機構の相違を、総じて、現状維持か現状変更かという視点で捉えてきた。それを改めて、政策変更の度合いということではなく、統治機構における権力の所在という観点で考えると、現在、議論されている統治機構に対する議論の多くは、以下の3つの視点での議論に収斂するのではないだろうか。

 一つ目は、統治機構における政治・行政と有権者との間の権力の所在である。特に、民主主義の間接性については、日本においてもイギリスにおいても、見直しの動きが少しずつでてきているのではないか。日本では国民投票法が2014年に改正され、現実の政策の意思決定について、国民投票にそれを委ねるという選択肢が現実のものになりつつある。また近年、地方においては、住民投票を政策の意思決定の手段として活用する動きはますます活発になっている。20世紀の住民投票原子力発電所の建設や産業廃棄物処理施設の建設など、リスクを伴う建設計画に対する賛否を問う住民投票が主であった。しかし、2010年代に入ってからの住民投票はその数が急激に増えると共に、内容としても、大阪都構想のように統治機構そのものを問う住民投票があったり、病院や図書館の建設、小中学校のエアコン設置など、より生活に密着した建物の建設・改修計画を問う内容が増えてきたこともその特徴である。イギリスにおいてはその動きはより顕著である。2016年に欧州離脱の国民投票が行われ、イギリス国外の多くの有識者からは想定外だった欧州離脱という民意が示された。それだけではなく、スコットランドの独立問題が長年くすぶり続ける中で、法的拘束力をもつ形で、独立をかけた住民投票が行われた。スコットランド独立の住民投票は、最終的に否決はされたものの、イギリスの二大政党が結束して否決を訴える中でも運動が盛り上がり続け、残留派にとっては薄氷の勝利となった。

 二つ目が、統治機構における政治・行政の中の権力の所在である。権力の所在については、本連載が焦点を当てて論じてきたように、国政レベルにおいては、日本は比較的分散構造だったものが、イギリスのような集権構造に近づきつつある。イギリスの国政は逆に、集権構造であったものが、少しずつではあるが分散構造になりつつある。他方で、国と地方の関係においては、日本は分割関係、イギリスは統合関係にある。すなわち、国政レベルではイギリスの方が集権構造で変化を起こしやすい一方で、国と地方の関係においては、日本の方が権力の分割関係が強く、トライ・アンド・エラーやそれによるイノベーションが生じやすい環境にある。国においては権力の集権化が進む一方で、国と地方の関係においては権力の分割は漸進的な動きにとどまっているのが現状である。

 最後の三つ目が、統治機構における政治・行政に関わる人材の権力の所在である。特に、その職すなわち権力の流動性については、少しずつ変化があり、また、その重要性が指摘されるところでもある。この点はイギリスにおいては既に流動性が高いこともあり、どちらかというと、日本における変化が注目される。政治家については、大臣就任時の当選回数や、落選以外の理由での自発的な議員辞職の年齢を考慮すると、国会議員の間で統治機構に関わる人材の流動性が高まってきているとは言いづらい。他方で公務員については、社会全体の雇用の流動化とも相まって、極めて少しずつではあるが、人材の流動性が高まってきている。その是非はともかく、さらには負の要因の大きさもともかく、国家公務員においては、人材の流動性が徐々に高まってきていることは事実のようだ。日本経済新聞の記事によれば(2020年3月追記)*1、転職サイトに登録する国家公務員の数が右肩上がりである。この流れについても、国家公務員の相対的な待遇が継続的に低下していること、国家公務員の社会的な地位や信用が継続的に低下していること、国家公務員の仕事の裁量の余地が継続的に低下していることなどを考えると、構造的なトレンドであるとみなすことが妥当であろう。この構造的なトレンドは所与のものとするなら、現状を守ろうとする取組にはあまり効果がないことは明らかであり、いかに、攻めに転じて価値を創出するかにかかっているのではないだろうか。

 統治機構の議論に「答え」はない、ということについては前節で述べた通りである。しかしながら、現状維持を目指すのか、現状変更を目指すのか、言葉を換えれば、拙遅を受け入れるのか、拙速を受け入れるのか、そのことにスタンスを取った際、本節で議論したような統治機構の論点に対する方向性にも、その是非を論じることができるのではないだろうか。

(完)