第2章(7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 他方で、首相から見るとどのように見えるのだろうか。これまで見てきたように、イギリス議会においては、与党のバックベンチャーの個別の政策に対する影響力は限られており、なおかつ、一度党首・首相を選出すると現職の党首・首相を引きずろ下ろすことも難しい。党首・首相にとっては、与党のバックベンチャーに、政府の意に沿って行動してもらうことは比較的容易なのだろうか。これもまた当然といえば当然なのだが、それが難しい場合には個別の法案を通すことができず、その結果、与党のバックベンチャーの個別の政策に対する影響力も増すはずである。やはり、党首・首相にとって、与党のバックベンチャーに政府の意に沿った行動を引き出しやすい構造にある。もちろんだからと言って何でも言うことをきくわけではないため、あくまでも比較での話にはなるが、日本と比べるとそのための権力が強大なのがイギリスである。

  権力とは、相手の求める物を与える力と、相手の嫌がることを実施する力である。権力を背景にして、ある時は相手の意図に反して、自分の意に沿って行動をしてもらう、それが権力を行使するということだ。では、イギリスの与党のバックベンチャーが求めるものは何か、それは、政府におけるポジションや議会の重要な委員会のポジションであり、次期総選挙で選挙区の公認を維持するかもしくはより安全な選挙区の公認を得ることだ。イギリスの与党のバックベンチャーが嫌がるものは何か、それは、公認をはく奪されることと、与党の支持率が低い時に解散をされることである。

 前述のとおり、イギリスには大臣職と政務秘書官で構成される雇われ票(payroll vote)と呼ばれる、何らかのポジションを有する与党議員が140人近くおり、そのポジションが将来の出世の階段にもなっている。大臣職を得ればより政策に対する影響力も高まり、議員としての給与に大臣職としての給与も加算されるため、政治的にも経済的にも恩恵を受けることとなる。保守党の選挙区からの公認を得る意思決定は、地域の保守党支部の判断に委ねられており、彼らは地方議員や熱心な保守党員で構成されている。保守党にとってより安全な選挙区の大物議員がリタイアをすると、彼らが次の公認候補を探すこととなるが、この際に雇われ票の一部として何らかのポジションを持つ人間は、能力のある主流派議員と見なされ公認争いで優位に立つ。ただし、イギリスでは党執行部が候補者の選挙区調整を意のままに操ることができるという旨の内容が、一部の日本の書籍にあるが、これは言い過ぎではある。いずれにしても、政府でポジションを得ることで、結果的に再選もより確かなものとしていく。こうした魅力あるポジションの人事権を、最終的には首相・党首が一手に握る構造となっているため、その権力は絶大である。議会の委員会への指名については、集権的な権限があるわけではないが、その推薦において影響力が及ぶ。日本の政治に詳しい方であれば、選挙資金も含まれるのではないかと思うかもしれないが、イギリスの選挙はそもそもあまり資金がかからないため、それが権力の源泉とはなりづらい。

 反対に与党のバックベンチャーが嫌がるものが公認はく奪であり、低支持率での自爆的解散である。2005年の郵政選挙でも実際に発揮されたように、日本の総裁・代表も公認をはく奪する力を持っているという意味では、党首・首相の権力資源としては日本もイギリスも同じである。イギリスの特徴は、その公認権の持つ権力としての大きさが、日本よりもさらに大きなものであるということだ。2005年の郵政選挙では実に35名もの現職議員が、自民党からの公認をはく奪され、うち2名が立候補を見送ったものの、33名が無所属あるいは新党の公認候補として選挙に臨んだ。そして、結果的には33名のうち15名が小選挙区で勝利、さらに2名が比例で復活当選した。すなわち、公認をはく奪された35名の議員のうち、実に約半数の17名が再選を獲得したのである。これを多いとみるか少ないとみるかで言うと、イギリスとの比較では多いということになる。イギリスにはこのような大規模な公認はく奪の事例がないため、事実に基づく比較は難しい。しかし、複数の保守党の現職の庶民院議員は「自分が保守党の公認なく当選することはほぼありえない」と証言しており、中には、「自分が保守党の公認候補ではなかったら、自分に投票してくれるのは自分の家族と友人で100人も満たないのではないか。ただし、妻は投票してくれないかも」などと冗談交じりで、いかに自らが得票を政党に依存しているかを話してくれた。このことは、労働組合を中心としてより組織化された選挙活動を行う労働党でも同じことと考えられる。したがって、日本でも政党の公認権を持つことは非常に大きな権力であることに間違いはないが、イギリスではその力がより強く、まさに政治生命を奪うほどの力を持ちうる。

 低支持率での自爆的な解散についても、どんな権力資源を持っているかという点ではほぼ同じであるが、その権力の大きさが異なる。首相が下院で不信任決議を受けた場合に、下院を解散して総選挙を行うことができる権力資源は日本でもイギリスでも同じである。そして、低支持率でも解散に打って出るという脅しが効くことに関して、日本とイギリスで変わりはない。イギリスの特徴はその脅しが誰に効くのか、ということにある。イギリスは下院である庶民院が、上院である貴族院に対して明確に優越しており、上院は実質的に法案成立を止めることができないことは、序章において紹介した。したがって、下院である庶民院に対して脅しが効くということは、イギリスでは首相は法案成立を止める力を持った与党議員全てに脅しが効くということである。対して日本は、首相は法案成立を止めうる参議院に対しては解散権を持っておらず、参議院議員に対しては「低支持率での自爆的な解散」という脅しが効かない。

 こうした党首・首相の強い権力を背景として、その権力の執行を担うのが、イギリスにおける院内幹事(Whip)という存在だ。院内幹事はフロントベンチ議員を含む雇われ票議員を除いた、バックベンチャーの投票が、政党としての公式な方針に沿って行われることを担保することがその役割である。サッチャー元首相も、院内幹事長を内閣の強制手段(Cabinet Enforcer)として使っているとして有名であった。その役割を担うために、与野党の院内幹事は最悪の場合は造反議員を除名する権限を持ち、さらに、与党の院内幹事には議会の議事日程をコントロールする権限を持っている。いずれも、院内幹事を任免できる党首・首相の権限を背景として、院内幹事の活動は党首・首相の意向に沿って行われる。党首・首相の権限を彼らに移譲していると考えた方が分かりやすいかもしれない。

 現在の単独与党である保守党の院内幹事は、補佐院内幹事まで含めると庶民院だけで17名おり、別途、貴族院には8名の院内幹事がいる。庶民院の院内幹事17名のうち、院内幹事長(Chief Whip)を含めた約半数は、慣例として財務省または王室の一部にポジションを持っている。院内幹事は大臣職と見なされ、与党院内幹事補(Assistant Government Whip)も含めて、政府の大臣として紹介されている。院内幹事は毎週、登院命令書(The Whip)と呼ばれる、翌週の議会での審議事項の詳細が書かれた書類を、庶民院貴族院の党内議員に送付する。この中に採決(Division)の項目があり、ここに、各採決の重要性に応じて下線が引かれている。一本線(one-line whip)は、党としての方針が示されてはいるものの、拘束のない採決であることを意味している。二本線(two-line whip)は党としての拘束がかかった採決で、出席・投票が求められ、欠席する場合には事前に院内幹事からの許可が必要となる。三本線(three-line whip)は最も重要な採決であり、二本線同様に党としての拘束がかかり、出席・投票が求められる。欠席には相当の理由が求められる。このような採決で造反をすると、場合によっては復党が認められるまで党から除名され、無所属議員としての活動を余儀なくされる。

 では、実際にこうした院内幹事の働きかけの対象となる、バックベンチャーは今の状況をどう受け止めているのだろうか。院内幹事による議員への圧力は、サッチャー政権時代の時にはフィジカルな圧力と比べて、かなりソフトなものとなっており、基本的にはお願いベースであるということだ。同じ保守党所属議員としての友好的なスタンスで、院内幹事はバックベンチャーに働きかける。単純なお願いベースを超えるものが必要となる場合には、議会の特別委員会の委員への指名のサポートを見返りとして、院内幹事から説得を受けることもある。

 公認はく奪につながる党員資格の停止などの措置は、党首への不信任決議などの重大な事案でない限りは考えづらく、貴族院改革法案(House of Lords Reform Bill)などのように大量の造反が出ている場合には、それだけの議員の党員停止を行って過半数を失うこともできないため、除名されないことは分かっていたと話している。三本線(three-line whip)の議決に対する造反とはいえども、それに造反したところで、保守党議員が党員資格停止などの措置に追い込まれることはほとんどなく、過去に党員資格をはく奪された理由は贈収賄などの不正行為が原因であって政策議論が原因ではないということだ。古くは、1990年代にメージャー首相が一部の議員の党員資格を停止したが、その半年後には、彼らを復党させており結果的には意味がなかったのではないかとも語っている。

 造反行動などが目に余る場合には、院内幹事が非公式に、保守党支部の議長に公認をはく奪するよう働きかけることはあるようだが、保守党支部としても、自分たちの意見を代表するために、より独立した意識をもつ議員を歓迎しているところもあり、ことはそう単純ではない。院内幹事とはいえども、好き勝手に現職議員の次期選挙での公認剥奪などができるわけではなく、あくまでも、保守党支部の意向として民主的に再公認が決まるという前提がある。10年に一度行われる区割り見直しに際しては、もし、新たな選挙区の名前が変わらないような小さな変更であれば、通常は現職候補として再公認のプロセスを踏むこととなる。しかしながら、区割り見直しにより、選挙区そのものが消滅してしまう場合には、再度、公認を得られる選挙区を探すこととなるため、ここには一定の警戒感が働くこととなる。

 このように、院内幹事によるバックベンチャーへの働きかけはかなりソフトな形へと変化しているが、それでも、政党としての凝集性を保つことができているようにも見える。その背景には、保守党政権の足並みの乱れは、いずれは保守党の選挙結果として、自分たちにも災いがふりかかってくるという認識がある。また、バックベンチャーも造反に造反を繰り返していては、重要な政策で自らの声が届かなくなってしまうために、節度が働くということを話している。

 まとめると、歴史的には、イギリスの党首・首相は強大な権力を持ち、自らが任命する院内幹事に実際の執行を委ね、与党バックベンチャーの議会における投票行動をコントロールしてきた。しかしながら、現代のイギリス政治においては、かつてほど権力の一極集中が強く働いていない状況であり、議会における政権与党の議席数や支持率、バックベンチャー自身と政権幹部との関係など、様々なバランスの中で、バックベンチャーは投票行動を含めた自らの言動の政権との距離を見定めており、院内幹事を通じたコントロールは複雑化している。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。