第2章(9)キャリアの早い段階でフロントベンチャーが選別される

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
 (コラム)イギリス議会の採決
 (8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す
 (コラム)連立政権における政策決定過程
 (9)キャリアの早い段階でフロントベンチャーが選別される
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 こうした議会におけるダイナミズムをさらに理解する上で、個々の議員がどのような事情を抱えているのかを理解することが大切である。庶民院議員はどのようなキャリアをたどるのだろうか。それはまた、日本の国会議員の典型的なキャリアとは、全く異なるものであった。イギリスの庶民院議員の典型的なキャリアは、学生時代の政党青年部での活動→政党スタッフまたはシンクタンクなど→政府スペシャルアドバイザーまたは民間セクターなど→候補者→新人議員→その後とたどっていく。議員になるまでの経験はそれぞれ異なるし、「(コラム)政治エリートの大学コースPPE」でもふれたように、最近では庶民院議員の経験はより多様化している。あくまで典型例として理解してもらいたいが、それにしても、官僚、タレント、地方議員などが国会議員の典型的な経験である日本とは大きく様子が異なる。

 まず、学生時代の政党青年部での活動である。主要政党はそれぞれ青年部を持ち、青年部は大学のコミュニティのような形で運営され、それが単位となり活動が組織されている。私も自分が通っていたLSEにあった保守党青年部(Conservative Future)のイベントに参加したことがある。大学院生よりも学部生が主な参加者であるので、大学院生でまして勤務経験のある人間はかなり年上である。非常な違和感を感じつつも、これも勉強だと思って参加した。イベントの内容は特定の政策領域におけるディベートもあれば、保守党の国会議員を招いたスピーチ・質疑応答などもある。また、選挙の際にはこの青年部の党員がボランティアスタッフの大きな割合を占め、電話での情勢調査・投票勧奨や戸別訪問、ビラ配りなどが行われる。こうした活動を通じて、議員や選挙を間近に見て、政治・政策への関心を高めていく。

 そうした青年部に所属して将来的に政治家を目指す者は、大学を卒業後の最初の仕事は、政治・政策に直接的に関わる仕事を選びがちである。保守党や労働党の調査部はそのトップリストであるし、それ以外の党本部の仕事、議員秘書シンクタンクの研究員などが候補となる。党本部やシンクタンクの仕事を大学を出たての若い人間にできるのかと不思議に感じるかもしれないが、党本部の調査部が代表的であるように、その仕事の内容は人間関係の広さ・深さが重要な仕事も当然あるが、実際に頭を使って考え、手足を動かしてアウトプットを出すことが求められる仕事が多い。そのため、こうした政治や政策を担う中心的な仕事で、二十代の若い人材が活躍している。イギリスは雇用市場の流動性が非常に高く、政治・政策の世界でも、職を転々とすることは全く厭わない。むしろ、数年単位で様々な仕事に就いていくことが一般的である。私がいたころの保守党調査部の方々や、議員秘書仲間の多くは、3年後までに何らかの転職をしていた。

 政治・政策の現場で経験を積んだ後に、彼らは民間セクターに転じるかもしくは、政府のスペシャルアドバイザー(special adviser, 特別顧問)としていよいよ政治の中枢へとステップアップしてく。民間セクターでの就職先は、大手メディアやPR会社、キャンペーン会社、経営コンサルティング会社、金融機関などが多い。また、自分の所属している政党が与党である場合には、政府のスペシャルアドバイザーという選択肢も出てくる。スペシャルアドバイザーは政治任用で採用され、大臣の示す方針の下で、その実現のために当該省庁の中で働くこととなる。大臣のような大物政治家と苦楽を共にし、政策実現の現場に関わることとなるため、特別顧問への就任は明らかにステップアップと見なされている。

 こうして様々な経験を積んだのちに、いよいよ、それぞれの政党から公認を得て、庶民院議員の候補者となる。もちろん例外もあるが、イギリスでは一度、選挙の経験そのものを積むことが良しとされており、保守党でも労働党でも、一度は対立政党の基盤が盤石な選挙区で立候補・落選することが典型的である。ここでは経験を積むということだけではなく、次の選挙に向けて、評価の目でも見られている。候補者は当選の見込みがほぼない中で、どのような活動をするか、党全体の前回の選挙からの投票率の増減に対して、どれだけそれよりも良い結果を残せるか、という視点で候補者は見られているのだ。ただそうは言っても、イギリスの庶民院議員候補者が、全てを賭けて選挙活動に従事しているかというとそうでもない。日本で国会議員候補者というと、仕事を辞めて悲壮な決意で選挙活動を始めるイメージがあると思うが、イギリスでは候補者は仕事を辞めることなく、週末と有休を使って選挙活動を行うのだ。実際の選挙期間中は貯めていた有休などで一か月ほど仕事を休み、落選すれば、そのまま元の職場で働く。

 晴れて選挙に当選すると庶民院議員としてのキャリアがスタートする。2015年に初当選した保守党議員に話を聞いてみた。新人議員に対するフォーマルなトレーニングプロセスが何かしらあるわけではなく、院内幹事がアドバイスをくれるがそれはキャリアに関するものというよりは、より機能的に院内の議事進行プロセスであったり、採決の方法であったり、選挙区有権者の陳情にどのように対応するかなどがトピックであるようだ。より重要な政治的なこと、自らのキャリアに関わることについては、よりインフォーマルな形で、経験のある議員からランチやコーヒーなどを共にしながら話お聞くことが多い。数多くいる与党議員の中でも、これまでに何らかの機会で会ったことのある議員や、選挙区が近い議員、何かしらのイベントで知り合う議員、相手から自分のバックグラウンドや政策を見て声をかけてくる議員などとインフォーマルな情報交換をする。加えて、1922委員会も多くのソーシャルイベントを企画して、保守党議員同士の交流を深めるための場が提供される。お互いにあまり文脈がなく声をかける場合には、たいていの場合、何かしらの法案などで、自らが実現したいと思っていることがあり、その協力を求めて声をかけてくる。大臣職にある数多くの議員も、自らの担当領域での政策の実現のために、与党議員の協力を求めて、ソーシャルなどのイベントを開いているようだ。

 一度、庶民院議員となると、フロントベンチベンチャーとバックベンチャーの選別はスピードが非常に速い。将来性を見込まれている議員は新人議員のうちから、下級大臣職である政務次官(Parliamentary Under Secretary of State)や、政務秘書官(Parliamentary Private Secretary)などのポジションを得て、活躍の機会が与えられる。フロントベンチャーとバックベンチャーを分かつものは、大まかに言って、その評判と議会での投票行動である。それまでの活動の実績から例外は存在するが、1期目でフロントベンチャーになる議員も通常はすぐにはフロントベンチ入りすることはなく、しばらくの間の評判と投票行動を注視され、政府をサポートする投票行動を続けるバックベンチャーが報いを受けることとなるる。組閣や内閣改造に際しては全ての保守党議員の名簿を見ながら、それぞれの議員の評判を精査して誰が入閣するかが決まる。

 下級大臣等としての実績が認められれば、閣外大臣や閣内大臣へとさらにステップアップしていく。閣内大臣を担うのが二期目の議員であるということも決して珍しくはない。キャメロンは2001年に初当選して、2005年の総選挙で保守党が敗北すると、同年、二期目にして党首の座に就いた。2010年から2015年まで労働党党首であったエド・ミリバンドは2005年に初当選後、当時の労働党政権の中で、翌年には閣外大臣に、3年後には閣内大臣に昇進した。2010年の総選挙で労働党が敗北すると、その年にキャメロンと同じく二期目にして党首の座に就いた。一方でバックベンチャーは、その後、議会の委員会の委員長となったり、保守党であれば保守党のバックベンチャーの委員会である1922委員会の執行部へと就任していく。

 また、政権交代時の落選した議員は、再選を目指す人間も当然いるが、一方で、企業やNGOのトップや役員に就任していくことも多い。政治家を引退した後も、政治的な成功を遂げた人々は貴族院議員となることが一般的であるし、そのような成功者ではなくとも、民間企業役員やロビイング会社、シンクタンクなど、それなりに魅力的なキャリアがあるというのが一般的な理解だ。

 全体的として、イギリスは若いうちから次々に要職を得て、さらに様々な職場で経験を積みつつ、駆け足でそのキャリアを上りつめていく。日本ではブレアやキャメロンなどのように若い首相のイメージが強いが、それは何も彼らだけに限ったことではなく、政界全体でその時計のスピードが速い。秘書のかばん持ち、国会議員候補者としての雑巾がけなど、長い下積み生活を良しとする日本とは根本的に異なる。