第2章(1)バックベンチャーという哀しい響き

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 庶民院議員には二種類の議員がいる。いわゆるフロントベンチャーとバックベンチャーだ。庶民院の議場は半円形の日本の国会とは違い、真ん中を境に両側が、正面からベンチが向かい合う形で並んでいる。入り口の正面には議長席があり、その左側に与党側の議員のベンチがあり、右側には野党側のベンチがある。与野党双方のベンチの一列目がフロントベンチと呼ばれ、それより後ろのベンチはバックベンチと呼ばれる。与党の閣僚と野党の影の内閣(シャドウキャビネット)のメンバーはそのフロントベンチに座るためフロントベンチャーと呼ばれ、お互いに対峙する形で座り、それ以外の議員はその後ろのバックベンチに座るためバックベンチャーと呼ばれる。フロントベンチの中央には首相もしくは議論となっている法案の担当大臣が、反対側には野党第一党の党首もしくは担当の影の大臣が座り、クエスチョンタイムの際にはそこで激しい議論を戦わせる。彼らの目の前に置かれている箱はディスパッチ・ボックスと呼ばれ、その箱に資料を置きながら、肩肘をついて議論するスタイルは、キャメロン首相も前ブラウン首相も共通である。余談であるが、庶民院には議員ごとの指定席はなく、650人の議員全員が座れるスペースがない。党首討論などのように多くの議員が集まる場合は、たくさんの議員が立ち見状態で脇に並んで立っている姿がテレビに映る。最近ではオフィススペースをフリーアドレスにして、社員全員分の椅子がないオフィスを持つ会社も増えているが、ある意味で、庶民院はかなりそれを先取りしていたことになる。

 フロントベンチャーとバックベンチャーと分けて呼ばれるように、庶民院議員にとって、同じ与党議員でもフロントベンチャーであるかバックベンチャーであるかによって、その仕事の内容もその後のキャリアも全く異なる。与党のフロントベンチャーにとっては、政府の一員として当然ながら、担当領域の政策を実現すること、その過程で議会で法案を通すことが仕事の中心となる。議会においては法案を提出する側として、しばしば、与党内の議員からも厳しい質問を受けることもある。一方で、バックベンチャーの場合はたとえ与党議員であったとしても、その役割はあくまでも政府の監視と、監視の上での政府案への同意が期待されている。所属する委員会において法案を精査して、修正案を提案し、そして、本会議の採決で賛成票を投じる。議員本人の政治信条や選挙区の有権者の意見と政府方針に齟齬がある場合は、与党のバックベンチャーとしては難しい判断を迫られることとなる。場合によってはバックベンチャー議員立法を試みることもあるが、非常に稀なケースである。そこにさらに超党派議員連盟としての活動が加わったり、NGOなどが議員の賛同を得るためのPR活動などに出席もしたりする。また、議会活動以外では、選挙区の有権者の代表として、有権者からの陳情への対応を行う。ロンドンから手紙や電話を通じて陳情対応が行われることに加えて、通常は金曜日と場合によっては土曜日の午前中などを使って、地元での対面での活動にあてることとなる。地元の有権者との個別の面会はサージェリーと呼ばれ、週に一度、数時間ほど選挙区の有権者による申込制で相談がなされる。地元での活動は個々人との面会だけではなく、地元のコミュニティグループとの面会や、地元の産業との面会、お祭りへの参加なども含まれる。

 こうしたバックベンチャーとしての活動の中で、政府にはポジションのない日本の与党議員とは大きく異なるところがある。それは、地元の代表として地元に利益をもたらすために、直接的に政府に働きかけることが期待されていないのである。もちろん、地元で様々な問題を把握して、それを政策レベルで解決するために政府を質すことは求められるが、地元への露骨な利益誘導はバックベンチャーには期待もされていないし、それをするだけの権力もない。それは表面的にはバックベンチ議員による官僚との接触禁止、という制度に表れる。日本の民主党が2009年に政権についた際に同様の制度を導入して、うまく機能しなかった、その官僚との接触禁止である。日本でそれが機能しなかった本質的な理由は別として、ここでは、その接触禁止規定によって、現場での仕事がどう変わるのかをご紹介したい。私はバックベンチャーの1人であるジェイコブ・リース・モグ議員の議員秘書として働いていたが、実際、私の仕事の半分ほどは、この陳情対応に関わるものであった。

 議員秘書の仕事は大きく分けて、議員のスケジュール業務、選挙区有権者やNGOなどからの陳情対応(ケースワークと呼ばれる)、議会活動のサポート、PR活動のサポート、保守党支部の運営の五つである。これらを、リース・モグ議員が十数年前に設立した民間企業の秘書一人、議会にいる私を含めた三人、選挙区の保守党支部で働くエージェントの、合計五人で仕事をしていた。仕事の担当としては、会社の秘書が基本的にはスケジュール業務を担当し、保守党支部のエージェントが選挙区での議員と有権者の面会のサポートと保守党支部の運営を担当し、残りを議会にいる三人で担当していた。議会にいる二人のうちの一人は、議会での勤務経験が豊富な方で、全体の管理をしながらPR活動のサポートやメディア対応なども担当していた。もう一人の秘書と私で、主に有権者やNGOからの陳情対応と議会活動のサポートをしていた。

 このように、華々しいフロントベンチャーの世界に対して、バックベンチャーの活動は目立たないことが多い。言葉の響きとしても、まさに、「後ろに座っている人」であり、影響力の低さを揶揄する向きもある。ジェイコブ・リース・モグ議員は、フロントベンチャーとの政策面での隔たりもあり、フロントベンチャーとなることが容易ではない*2状況でもあったが、地域の代表として自らの信条に従い、時に造反投票もしながら議会活動をすることに誇りを持っていた。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:後に、2019年のジョンソン政権発足に伴い、閣僚に任命されフロントベンチャーとなる。