第2章(12)ハイポテンシャル人材が安全な選挙区を得る

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
 (コラム)イギリス議会の採決
 (8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す
 (コラム)連立政権における政策決定過程
 (9)キャリアの早い段階でフロントベンチャーが選別される
 (コラム)晴れ舞台としてのクエスチョンタイム
 (10)立候補のリスク・コストが小さく、リターンが大きい
 (11)党本部主導と支部主導の組み合わせで公認を選ぶ
 (12)ハイポテンシャル人材が安全な選挙区を得る
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 国会議員にとっては自らの選挙区における支持基盤が盤石なものか否かは言うまでもなく重要な要素である。支持基盤が弱ければ、それだけ地元での活動も増やさざるをえなくなるだろうし、地元で評価されるために自らの信条を曲げざるを得ないこともあるかもしれないし、次の選挙で落選して議員としてのキャリアを閉ざされてしまうかもしれない。だからこそ、有権者の多数が自分の政治信条に近いというだけではなく、できる限り自らの政党がより盤石な支持基盤を持つ選挙区で立候補することを目指す。党の執行部としても、彼らが見込むハイポテンシャルな人材については、安定した選挙区を得て落選のリスクを減らしたいという動機づけは働く。ハイポテンシャル人材はいかにして、より安全な選挙区を獲得しているのだろうか。

 一つ目に、ハイポテンシャルな人材であれば、通常のボトムアップの民主的な公認決定プロセスの中でも、より安全な選挙区での公認が得られる可能性が高くなる。もちろん、人に対する評価は人それぞれなので、誰がハイポテンシャルで誰がそうでないのかという議論はある。ただ、公認決定が民主的なプロセスであり、なおかつ、複数の選挙区に応募可能であるため、「誰もが認める候補者」は安全な選挙区で公認を得やすい。

 二つ目に、前述の非公式なAリストを活用して、党執行部がハイポテンシャルと見込んだ新人候補を、現職がリタイアする選挙区に推薦することで、さらにその可能性を高めることもできるだろう。しかしながら、党本部が政党支部に干渉しようとすることを、政党支部は嫌う傾向にある。多くの保守党支部はその候補者選択に対するCCHQの干渉、党員増加へのサポートが少ないことについて、不満を持っているのだ。仮に党本部が干渉をするとしても、政党支部が何らかの決断をしてからではなく、事前に働きかけるものと思われる。

 加えて三つ目に、定期的な区割り見直し(boudary changes)の制度もそれに貢献しうる。この制度は先にも紹介した通り、一票の格差を大きなものとしないために、十年程度のサイクルで定期的に行われている、庶民院議員の選挙区の変更である。党執行部は公認決定に直接的に介入することはできないが、区割り見直しで選挙区や政党支部が再編されれば、現職議員がいる場合でも、新しい政党支部による公認選定で改めて政党支部に対して働きかけることができる。これを契機に、特定の新人候補がより安全な選挙区を得ていくことはありうる。政党主導の選挙活動と政党依存の選挙結果という前提がある中では、候補者が選挙区を鞍替えすることの機会損失は限定的である。それにより安全な選挙区が得られるのであれば、得られるものの方が大きい。

 ただし、新人候補者が難しい選挙区で敗北してからセーフシートで初当選することはよくあるし、労働党の元庶民院議員のスティーブン・トウィッグ議員(Stephen Twigg MP)のように、現職候補者が選挙区を失った後にセーフシートを得ることもあるが、現職議員がターゲットシートからセーフシートに選挙区を鞍替えするような事例は極めてまれである。仮に自らの選挙区の支持基盤が確かなものではないとしても、選挙区を変えてまでセーフシートを得ようとするのは、選挙区割り見直しなどでその正当性を主張できる場合のみという認識が一般的だ。例外的な事例ではあるが、保守党のセーフシートであるサリー・ヒース選挙区(Surrey Heath district)は、より強い政治家を求めて、ニック・ホーキンス議員(Nick Hawkins MP)からマイケル・ゴーヴ議員(Michael Gove MP)に乗り換えたとされている。

 また、選挙区割り見直しが、党内政治のために恣意的に行われているという声もあるようだが、これも、やや誇張であるようだ。当然ではあるが、仮に選挙区割り見直しがあったとしても、現職議員としての選挙区は以前の選挙区のままであり、そこでの責務は果たさなければならない。党執行部は選挙区割り見直しがある場合でも、現職議員がきちんと公認・議席を得られるように最大限の努力をして、今後の議員活動の中で造反が生まれないように配慮するはずであり、選挙区割り見直しを通じて気に入らない議員を排除しようとすることはない、と現職バックベンチャーは話す。

 ちなみに、選挙区の区割り見直しがない場合は、現職議員が再選を目指す意志を固めると、その政党支部の幹事会に再公認が諮られる。ここで再公認が承認されればそこで公認が決定する。一方で、ここで再公認が承認されない場合、議員は再公認の是非を一般党員による投票に委ねることができる。ここでも再公認が承認がされない場合、その選挙区はオープン選挙区となり、現職議員がいない選挙区や、現職議員がリタイアする選挙区と同様に、前述のプロセスを経て候補者を選定する。

 2013年に提案された区割りの見直し案は、保守党の連立パートナーである自由民主党の反対によって棄却された。その見直し案は議員定数を650から600に削減することが前提の案である。今後の区割り見直しにおいて、仮に2013年の案と同様に50もの議席が削減される場合は、かなり大きな区割り変更が生じるはずであり、現職議員とて再公認が得られないケースや、これまでよりも自党に不利な選挙区割りとなる可能性もある。その内容は当然ながら壮大な駆け引きを生じるものとなるであろう。