第2章(2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 まずは議員秘書としての陳情対応の仕事についてご紹介したい。選挙区有権者やNGOなどからの陳情は主に四つの経路から入ってくる。議員宛ての手紙が送られてくる場合、議員宛てのメールが送られてくる場合、やや稀なケースだが議員事務所に直接電話がかかってくる場合、選挙区での議員と有権者の面会時間(サージェリー)から上がってくる場合の四つだ。陳情の内容は、個別の有権者の裏庭での隣人とのいさかいから、連立政権のEU政策や財政政策、発展途上国での人道問題まで、非常に多岐にわたる。私が目にした実際の陳情はリース・モグ議員の選挙区の有権者からのものに限られており、議員に陳情をする有権者ということで、社会全体からみるとごく一部の方々の意見ではあるが、イギリスの有権者が日常生活から社会的な問題、経済的な問題まで、どんなことを気にして生活しているのかが伝わってくる。私がイギリスに住んでいたとは言っても、それはロンドンに限られた話であり、私にとってはとても新鮮な内容がたくさんあった。
 こうした陳情には個人的な活動として行われているものもあれば、組織的なキャンペーン活動の一環として行われているものもあった。組織的なキャンペーンというのは、例えば国際支援系のNGOが特定の課題に対して、英国政府に働きかけを行うものである。陳情のためのテンプレートの手紙またはメールをNGOが用意して、それが彼らのネットワークを通じて、様々な選挙区の有権者から多くの議員に送られてくる。また、38 Degrees*2やAVAAZ*3などのように、ネットを活用した草の根のキャンペーン活動を得意領域として、様々な課題について、ロビイングを同時展開している団体もある。
 中央政府の政策に対する懸念を表明する陳情に関しても、対応にはいくつかの種類がある。こういった陳情に対して、議員が自分の考え方を伝えたり、自分の活動内容を紹介したりする場合もあれば、議員から政府やその他の関連する組織に対して陳情を行うこともある。イギリスでは官僚の政治的な中立性に対して厳格な姿勢がとられるため、与党議員も政府の職に就いていない限りは、議員と官僚が接触することはない。したがって、議員が政府に陳情をする際は、議員から各役所の大臣宛てに手紙を書く。この手紙が各役所の担当の官僚によって対応され、返事の手紙が書かれ、そこに担当大臣が署名をして、議員宛てに手紙が返送されてくる。この手紙のコピーを今度は、議員事務所から有権者やNGOなどに送り、(さらなる返信がなければ)そこで陳情対応(ケースワーク)が終了する。議員の地元の自治体に関する内容であれば、有権者の懸念を地元の議会に向けて手紙を書き、それに対する回答を求める場合もある。
 この中での私の仕事は、議員から有権者や担当大臣などに送る手紙をドラフトすることだ。特に、国の政策に関する手紙が送られてくる場合には、議員の過去の発言を調べ、議員の考え方の原則に照らして、議員がどのようなコメントをするかを考えながら、中身をドラフトする。もちろん、議員の返答が想像もつかない場合には、まずは議員に直接スタンスを聞いてからドラフトをする場合もある。そうしてできた手紙のドラフトを、実際に議員が目を通して、彼からの指示に基づいて内容を修正する。どんな手紙も、その対応についての最終的な決裁は議員自身で行い、彼が手紙にサインをして、その手紙が送られる。彼に上げるかどうかを秘書が決めたり、彼の目に触れないまま手紙が送られたりすることは、決してなかった。イギリス政治は日本に比べてトップダウンの側面が強調されがちではあるが、個別の議員が地域の有権者の声を関連する省庁に届けることは、選挙区の代表である庶民院議員の大切な仕事の一つだと認識されている。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:http://www.38degrees.org.uk/

*3:http://www.avaaz.org/en/