序章(5)日本とのつながりを求めて英日議連へ

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
 (4)情報収集とコネクションづくりは難航した
 (5)日本とのつながりを求めて英日議連へ
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2011年4月、得たいと思っていた経験を得られる望みが薄くなる中で焦りを感じていた。マッキンゼーを休職して留学していた私だが、マッキンゼーとの元々の約束では、9月には会社に復帰することになっていた。イギリスに残ってイギリス政治の現場で経験を積むためには、遅くとも7月末までには何らか「これをやります」と言えるものを得て、会社に休職延長のお願いをする必要があった。5月の初旬には修士論文の提出期限も控えていて、6月にはLSEでの前年10月からの授業に関する最終試験が待っていた。このままでは、何のためにイギリスに来たのか、生活資金を借りていた家族にもあわせる顔がない。逃げ出したい一心で、もはやどんな理由があったのか、今となってはうまく説明できない転職活動などもしてみた。自分の次のステップを見据えるために、何かをしていないと落ち着かなかったのだと思う。

 肝心のイギリスでの活動については、それまでのコネクションづくりや、公開情報からの職探しがうまくいかなったため、4月から次の作戦に出ることにした。個別の議員に直接「何か仕事をください」とコンタクトすることにしたのだ。目をつけたのは、日本に関心を持つ超党派の議員グループである英日議員連盟British Japanese Parliamentary Group)*2だ。英日議員連盟というからには、そこに所属する議員ならきっと、日本人を自らの事務所に置いておいて役に立つ仕事も少しはあるのではないか、と考えたのだ。そこで、その所属議員のリストを得るために、早速その事務局に連絡をとってみた。しかし、グループのメンバーシップは公開情報以外は機密情報ということで、具体的に誰にコンタクトをとると良いかなどを教えてもらうことはできなかった。そのため私には依然として、イギリス議会にある英日議員連盟のウェブサイト*3にある、保守党と労働党双方の十人程度の議員の名前だけが手掛かりだった。そこには、ジェレミー・ハント議員やバーナード・ジェンキン議員など、日本のメディアでも時折コメントを見かける議員が名前を連ねていた。

 ただ、事務局に連絡をとったおかげで二つの重要なきっかけを得ることができた。一つ目は、この議員連盟のレセプションが6月14日にあり、良いネットワーキングの機会になるということで、そこの受付をボランティアで手伝わせてくれるというものだった。もう一つ、英日議員連盟の事務局に連絡したことで得られた重要な情報は、とてもイギリスらしいといえばイギリスらしいのだが、個別の議員にコンタクトするに際しては、メールではなく手紙でコンタクトするのが良い、ということだった。イギリス政治では今も、手紙は公式なコミュニケーション手段として尊重されていて、有権者から議員への陳情も、メールには返信しないことはあっても手紙には必ず返信する、という議員もいるほどだ。特に、有権者でもない私からの連絡の場合、メールではひどい場合は見てもらう機会すらない可能性もあるが、手紙であればほぼ確実に秘書から議員に手渡されるということだった。手紙を送るというのは何年ぶりのことになるだろうか。思いもかけなかったアドバイスに驚いたが、これが、後に功を奏することとなった。

 こうして、私の手紙作戦が始まった。英日議員連盟の所属議員として名前の公表されている保守党議員10人ほどに拙い手紙を書いた。ほとんどは返事もなく流されてしまったが、貴族院議員、したがって貴族、がわざわざ私に手書きの手紙で、「申し訳ありませんが、残念ながら仕事はありません。」と書いてくれたことには驚いた。それで、結果的にはこの個別議員ルートも全滅した。正確に言うと、当時の307人の保守党の庶民院議員全員に手紙を書いたわけではないのだが、それぞれに手紙の内容をアレンジすることを考えると、それだけの人数の議員に手紙を書く時間もなく、優先順位をつけて作業をした。それでも、非効率な作業には違いがなかった。秘書のために議会のIDパスを発行できるのは、一人の議員につき三名までと決まっている中で、どの議員の事務所に空きがあるのか分からないまま、読んでもらえるかどうかすらわからないまま、ちょっとしたリサーチを元に手紙の内容をアレンジしていたのだから。

 結果的には個別議員ルートもうまくいかなかったのだが、手紙を書いている際に、個別議員だけではなく、政党本部にも手紙を書こうと思いついた。ただ、政党本部に手紙を書こうとは言っても、誰に宛てて書いてよいかも分からない。人事部のようなところがあるのだろうが、その担当者が私の手紙をみて「なんとかしてやるか」と思ってくれる雰囲気も感じられない。せめて組織図が手に入るなら、それを片手に、関係ありそうな部署の長に手紙を送ることもできたかもしれないが、そんな便利な組織図もそうそう簡単には入手できなかった。それで、どうしようかと考えて、せっかくだから幹事長(Chairman)に送ることに決めた…。4月15日のことだった。待てど暮らせど何の音沙汰もない。届く手紙と言えば、同時期に出した個別議員への手紙に対する断りの返事がたびたび返ってくるくらいだった。そうして、私は失意の中、5月14日に予定されていたコロンビア大学大学院の卒業式のため、ニューヨークに向かった。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:http://www.bjpg.co.uk/

*3:http://www.publications.parliament.uk/pa/cm/cmallparty/register/japan.htm