序章(8)保守党本部の初日

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
 (4)情報収集とコネクションづくりは難航した
 (5)日本とのつながりを求めて英日議連へ
 (6)帰国が迫る中でのラストチャンス
 (7)卒業式まで待ったあいまいな内定
 (8)保守党本部の初日
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2011年9月、いよいよ、待ちに待った保守党本部での仕事が始まった。ロンドンは雨が降る日が多いことでよく知られているが、通常は、少し雨宿りをしていれば止んでしまうことも多い。そんなこともあり普段はあまり傘を持ち歩かない私だが、その日は久しぶりのスーツで、最寄駅のピムリコ駅から保守党本部までの10分ほどの道のりを傘なしで歩くことも憚られたので折り畳み傘を購入した。しかし、歩いている途中でその傘が強風にあおられて壊れるという、幸先の悪いスタートとなった。

 保守党本部からは国際部と調査部からオファーをいただいていたが、最初の一か月は国際部で働き、翌月から調査部で働くこととなっていた。党本部につくとBroom氏はそこにはおらず、若い女性が入口まで私を迎えに来てくれた。聞けば彼女はその前日から保守党本部の国際部で働き始めたという。当時おそらくまだ25歳程度で非常に若かったが、オックスフォード大学を卒業した後に、イギリスの欧州議会議員の秘書などをしていたエリートだ。イギリスでは毎年9月後半から10月にかけて、一週間ごとに主要政党の党大会が開かれる。国際部では直前に人が辞めたこともあって彼女が採用され、彼女と私で、国際部の関連する部分での党大会の準備をしていくことになるようだった。

 しばらくすると、イントロダクションセッションを受けられるということで、私と彼女ともう数名、直近数か月で働き始めた職員の方々でイントロダクションセッションを受けた。新しく保守党本部で働き始めた職員向けのセッションで、保守党の歴史、党全体の組織、党本部の主要部署の説明など、それぞれの担当の方から短いプレゼンテーションを受けた。イントロダクションセッションが終わり、昼過ぎからは、私がお世話になる国際部の方々に挨拶をしたり、私が使うことになるパソコンのセットアップやオフィス内の案内など、どこでもあるようなオリエンテーションが1時間余りのあいだに一通りあった。

 そうこうして、国際部らしい最初の仕事をいただいた。カナダのある大臣のイギリス訪問に合わせて、保守党議員との会議がセットされており、その保守党議員向けにその大臣やカナダの政治情勢などに関して、ブリーフィング資料を作るというものだった。イギリスにはコモンウェルスイギリス連邦)という緩やかな国家連合がある。ウィキペディアによると「かつてのイギリス帝国(大英帝国)がその前身となって発足し、イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合(集合体)である」と定義されている。カナダやオーストラリア、インドなどを含めたかつての植民地との間で今も緩やかな連合があり、今でもこのコモンウェルスの加盟国の間で、コモンウェルスゲームズと呼ばれるスポーツの国際大会が開かれたり、政府・政党を通じた外交が行われている。イギリスの大事な外交情報源の一つだ。そのため、こうしたコモンウェルス加盟国から多くの議員もイギリスにくる機会がある。最初の仕事ということもあるのか、余裕のある締め切りをいただいた。作業そのものは、楽しく大きなやりがいのあるものではないが、保守党本部での最初の仕事、自分にとっては記念するべき仕事となった。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。