序章(7)卒業式まで待ったあいまいな内定

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
 (4)情報収集とコネクションづくりは難航した
 (5)日本とのつながりを求めて英日議連へ
 (6)帰国が迫る中でのラストチャンス
 (7)卒業式まで待ったあいまいな内定
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 Broom氏との面接が終わり、「この後のステップは…」と思っていたところ、先方から唐突に「じゃあ、いつまでに正式なオファーを出せば良いの?」と聞かれた。「休職している会社への連絡も必要だから遅くとも1か月後の7月15日」と告げると、「じゃあ、それまでにちょっと他の人とも話して連絡します」とのことだった。この時点で既に有頂天だった私だが、そこまではすんなりとはいかなかった。7月15日の2週間前になっても、1週間前になっても連絡がこない。不安になり、メールや電話で「どうなっていますか?」と聞いてみると、「あともう一人、中で話をしないといけなくて」というようなことを言われるだけで、全く確約がとれなかった。そしてついに、自ら設定した7月15日を迎えた…。

 実はこの日はLSEの修士課程の卒業式の日だった。コロンビア大学の卒業式で着たナイロンのシンプルなガウンとは異なり、LSEの卒業式でレンタルしたガウンは重厚で、どう着てよいか分からない複雑なものだった。そういったところがイギリスらしいのは良いが、私の大切なネクストステップがあいまいなまま決まらないところは、あまりいただけないイギリスらしさだ。全体の卒業式も終わり、学校主催のレセプションも終わり、自分の所属したプログラムのレセプションが始まった。こうしたイベントごとの合間合間にもBroom氏に何度か電話しているがなかなか通じない。不安絶頂の中で、何とか心を落ち着けながら同級生との時間を楽しんでいたところ、不意に携帯がなり、取り損ねた。。。番号は非通知だったが、Broom氏に違いないと信じて、再度電話してみるとようやく電話がつながった。

コロンビア大学の卒業式

LSEの卒業式

 「国際部でオファーを出します」とのお言葉をついにいただいた。さらに、「あなたにとっては、国際部だけで経験を積んでもあまり仕方がないから、調査部のインタビューも受けてほしい。来週の火曜日に党本部に来れますか?」と聞かれた。「はい。行けます。」と答えると、「では、これから調査部のディレクターにCCでメールを送るので、二人でメールを通じて時間を調整して下さい」とのメッセージだった。「これでようやく安心して卒業できる」というのが正直な感想だったが、困難が全て解決したわけではなく、まだこれから調査部の面接を成功させなければならなかった。

 その日の深夜になると、今回は約束通りメールがきていたので、翌日の午前中には面接のスケジューリングのために、調査部のディレクターにメールを送った。しかし、またしても返事がこない…。週末は当然として、月曜日になっても返事がこない。確認のために再送してみてもまだ返事はこない。電話番号もわからない上に、Broom氏とも電話はつながらない。困った。そのころのイギリス政治は、大手メディアによる犯罪被害者も対象に含む常習的な盗聴疑惑で大変な騒ぎになっていた。どうするか迷ったが、当の火曜日は前述の英日議員連盟のレセプションで知り合った、議会の科学技術局のディレクターとコーヒーをご一緒することになっていて、いずれにしても保守党本部のあるウェストミンスターに行く予定になっていた。そのため、まずはウェストミンスターに行ってみて、その場で、何かしら連絡が来ているかどうか、確認することとした。

 コーヒーも終わりすることがなくなったが、メールをチェックしてもまだメールは来ていなかった。恐らくないだろうが、保守党本部までの徒歩5分程度のみちのりの途中でメールが届くかもしれないので、とりあえず、保守党本部に向かった。当然のようにメールは来ておらず、一瞬、メールがくるまで待とうかとも考えたが、それは大変なので、もう一度、国際部のBroom氏に電話をした。どきどきしながら、「あの、まだ時間が実はちゃんと決まっていないのですが、とりあえず、目の前まで来てみました。何時ごろ面接をしていただけそうか、聞いてみていただくことは可能でしょうか」と聞いてみた。すると、電話を保留にして調査部の方と話をしていただき、再び電話に戻ると、「調査部のディレクターは今は別の会議で面接をできないけれども、代理の人間がインタビューするから、三階まで上がっておいで」とのお言葉だった。

 面接の内容は国際部のBroom氏とほぼ同じだった。30分ほど話をしたところで、面接官が「5分くらい待ってて」と言うので待っていると、ほどなくして戻ってきて、「じゃあ調査部でもオファーをだします」といきなり結論をいただくこととなった。ここまでかなり時間がかかり、あいまいな状況にやきもきもしたが、決める時は速い。こうして無事に、まずは国際部と調査部で仕事をすることができることとなり、胸をなでおおろしたのもつかの間だった。今度は、いつから始められるのか、それがなかなか決まらない。調査部は10月10日からだが、国際部は夏が終わってからということであいまいなままだった。ここまでくると、実際に始まるまではいつキャンセルされてもおかしくない…と覚悟を決めつつ、あいまいで不確実性が高い状況に慣れようと心に決めた。その後も、私からの数多のメールと電話の後、ようやく9月2日(金曜)に連絡をいただき、9月6日(火曜)から無事に国際部での仕事が始まることとなった。ちなみに、調査部での仕事の終わりの日はこの時点ではまだ決まっていなかった。先方もまだ先の状況が読めないことに加えて、私としても、保守党本部で働き始めてからそこでの人とのつながりから、次の仕事のアテが見つかるまでは調査部で仕事をしていたかった。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。