第2章(3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1


目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 私の議員秘書としての活動が終わりに近づいてきた2012年8月のある週末、私はリース・モグ議員の地元である、サマセット(Somerset)での活動に同行させていただいた。イギリス議会では、議会の本会議や委員会が開催されるのは月曜日から木曜日までと決まっている。法律で定められているわけではないが、小選挙区の代表である庶民院議員は、ロンドンにある議会で月曜日から木曜日まで仕事をする一方で、金曜日は自らの選挙区の有権者の声に耳を傾けることが期待されている。金曜日の同行に備えるために、木曜日の午後に議員の地元に到着して、その日は議員の自宅に泊めていただいた。リース・モグ議員には大変なもてなしをしていただき、彼の家族とその友人と一緒に夕食をいただき、その日は夜遅くまで、お酒を共にさせていただいた。

 当時、リース・モグ議員には4人の子どもがいた。4人の子どものうち上の3人の子どもはロンドンの学校に通っており、日曜の夜に議員は3人の子どもを連れてロンドンまで移動して、木曜日の夜にジェイコブは一人で地元に戻る。奥さんと末っ子は月曜日にロンドンに移動して、奥さんが金曜日の午後に子ども全員を連れて地元に戻っている。議員として忙しい日常を過ごしながらも、イギリス人らしく、長期のバケーションは欠かさないということだった。夏は3週間ほどニューヨーク州北部にある親戚の自宅でバケーションを取る一方で、冬も数週間ほど地元でバケーションを楽しむ生活をしているということだった。バケーションの間も、自分のオフィスとは1日に15分ほど電話やメールでやりとりをしているようだ。

 イギリスの庶民院議員にとって、地元での活動には、自分自身の政治キャリアとの関係ではどのような目的があるのだろうか。何でも聞いて構わないということだったので、疑問に感じていたことを率直に聞いてみた。地元での活動により自分自身が議席を得られるとは思わないが、地元での活動を全くしないことにより、議席を失うことはあるのではないか、ということだった。保守党支部のオフィサーから明示的にどれほどの活動をしてほしいか要求されたことはないが、おそらく潜在的な期待値は存在して、あまりにもそれとかけ離れた活動しかしていない場合には、問題となる可能性がある。保守党支部から参加を求められるイベントには必ず出席するようにしているということだが、議会の本会議や委員会との日程が重なる場合には、そちらを優先するよう理解してくれるようだ。地元の有権者は地元の議員に会い、そして、何かしら問題があれば訴えたいと思っているので、お祭りのような場にも参加をして有権者と対話をする。また、自分自身のキャリアと直結はせずとも、有権者の生活を直接助けられることそのものに、喜びを感じているようだ。例えば過去に、精神疾患の患者の男性と、庭師を探している女性を引き合わせて雇用が生まれたことがあるが、それが非常に嬉しかったと語ってくれた。また、お祭りのような場には当然ながら、保守党の党員だけではなく、労働党自民党の支持者でリース・モグ議員には絶対に投票できない有権者もいる。そうした方々でも、リース・モグ議員のことを気に入ってくれると、その周囲の人々にリース・モグ議員を勧めてくれる人もいるということだった。

 翌日の金曜日は一日、議員の地元での活動に同行させていただいた。まず、午前中にコミュニティ@67という、地域住民にコンピュータやインターネットの使い方を教えたり、地域住民が朝のコーヒーを共にする、コミュニティ施設を訪れた。地域の非営利の住宅・ケアサービス提供組織と二つの自治体からの補助金で運営されている。滞在中に、その施設でどのような活動がされているか説明があり、その日に実際に行われていたコンピュータの使い方の指導の模様などを視察した。コミュニティ施設にとっては、公的な補助金で運営されいている施設をいかに住民サービスに役立てているか、地域の庶民院議員であるリース・モグ議員に説明をしたいという目的があった。

 午後の最初の活動は、全国農協組合のこの地域のディレクターを含む十数名の地元の農家の方々との会合であった。場所は参加した一人の農家の自宅で、イギリスで長らく問題になっている牛乳の価格契約と価格下落をトピックとして、午後一時から会合が始まった。イギリスの一人当たりの牛乳消費量は日本の約三倍ある*2一方で、その価格は非常に安く、現在ではペットボトルの水よりも安い価格となっている。そうした価格下落のために多くの酪農家が廃業に追い込まれており、そうした現象はリース・モグ議員の地元だけではなく全国的なものであるが、地域の庶民院議員であるリース・モグ議員にその窮状を訴えることが目的であった。農家の方々が彼らの具体的な状況を議員に訴える一方で、議員は政府ではどのような対応がとられているかを説明しながら、お互いの意見を交換した。

 二時半に農家の方々との会合を終えると、三時から五時半までは、地元の有権者の方々との個別面談であるサージェリーの時間だった。庶民院議員にとって、サージェリーの時間を持つことは義務ではないが、多くの議員は週に一度、数時間ほどを地元でのサージェリーの時間として確保する。選挙区の有権者はサージェリーの案内を議員のホームページや地元のコミュニティ紙などで確認して予約を入れる。その日のサージェリーは選挙区のとある公民館で行われ、その地域に住む方々が、彼らの具体的な相談内容とともにサージェリーに参加した。その日は三十分ほどを一つの単位として、合計で四組の有権者が面会にきた。サージェリーにはリース・モグ議員に加えて、地元で秘書業務を行っている保守党支部のエージェントも一緒に参加をして、メモを取る。手紙やメールでの陳情と同じように、後日、その内容を政府などに伝えて、解決やコメントを求めるためだ。

 金曜日の地元での活動はこれで終わり、再び、議員の自宅に帰った。高緯度に位置しているイギリスは夏の日照時間が長く、六時ごろに議員の自宅に到着した頃は、まだまだ明るく、議員の子どもが元気に外で遊んでいた。序章で紹介したように、リース・モグ議員は、議員となる前は資産運用会社で働いており、その頃に日本も投資対象とするファンドを運用していたため、日本の経済についても明るい。ディナーの前に議員の自宅の近くのパブでビールを飲みながら、日本の政治や政策課題について話をした。彼は「自分は日本人ではないし、日本に住んだこともないので、何が有権者が望むことなのか、何が有権者にとって良いのかはわからないが」と前置きをしたうえで、「単純にマクロ経済のことだけを考えるのであれば、公的債務の増加と人口減少が最大の課題だ」と話した。どのような処方箋があるのかしばし意見を交わした。

 翌日の土曜日の午前中は地元の夏のフェスティバルに参加した。かなり大きなフェスティバルで広大な敷地に駐車場が用意されて、数千人単位の人が集まっていた。フェスティバルの内容は、飲食店の出店や、小さな花の展示場、地域の物産品の販売、子どもが遊べるようなちょっとしたアトラクションなどがあった。リース・モグ議員はそこに来賓として招かれ、スピーチなどをして、家族とともにフェスティバルに参加していた。議員には、当時生まれたばかりの赤子も含めて四人の子どもがいて、彼らも一緒にそのフェスティバルを楽しんでいた。日本でも政治家が地元の夏祭りに参加するという話はよく聞くが、それと同じなのであろう。ただ、恐らく少し異なるのは、その時間の流れだろう。地元の冠婚葬祭や夏祭りなどに走り回る日本の政治家に比べて、リース・モグ議員の地元での活動は、よりゆったりと時間が流れているように感じた。有権者の方々と握手をして回る、というよりは、有権者一人一人と話をしている、という印象だった。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:一般社団法人日本乳業協会 http://www.nyukyou.jp/cgi/dairy/index.cgi?rm=result&qa_id=3