第2章(コラム)連立政権における政策決定過程

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
 (コラム)イギリス議会の採決
 (8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す
 (コラム)連立政権における政策決定過程
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
【連立政権下の保守党と自民党の政策交渉について】
 連立政権下の政策交渉は首相レベルでの交渉と、大臣レベルでの交渉の二層構造となっていた。首相レベルではQuadと呼ばれる首相キャメロン、大蔵大臣オズボーン、副首相クレッグ、大蔵主席政務次官アレグザンダーの4人による協議が月に1回ほど開かれていた。

 大臣レベルでは毎日のように交渉が行われていた。連立政権時代は自民党の閣外大臣も、閣外大臣とは言えども自民党の代表として、保守党の閣内大臣と日々交渉をしていた。交渉は直接行われることももちろんあるが、日常的な交渉は、スペシャルアドバイザー(Special Adviser, SPAD)をチャネルとして行われた。スペシャルアドバイザーは、通常各省庁に1人で、主に閣内大臣をサポートしながら、その他の閣外大臣をサポートしていたため、連立政権では同一省庁に保守党と自民党の大臣がいる中で、どのようにスペシャルアドバイザーを配置するか問題が生じることとなった。当初は閣内大臣の政党がスペシャルアドバイザーを任命する形をとったため、外務・英連邦省のように保守党が閣内大臣の省庁では、自民党の閣外大臣のサポートがない状態となり、その逆もまた然りであった。そのような状況では、保守党のスペシャルアドバイザーが、自民党の閣外大臣の秘書を通じて交渉を行っていた。ただし、大臣の秘書はあくまでも、政府の職員ではないため、機密情報に対するアクセスはないため不都合があった。2012年の中ごろにその運用方法が変わり、たとえば、外務・英連邦省、国際開発省、環境省にいる自民党の閣外大臣をサポートするために、自民党から一人のスペシャルアドバイザーが任命されることとなった。

 外務省の閣外大臣であったジェレミー・ブラウン(Jeremy Browne)の関係者から聞いた話では、彼自身がリバタリアンであったこともあり、また、保守党の大臣やスペシャルアドバイザーも協調的な姿勢を持っていたため、大臣間のコンフリクトはほとんどなかった。一方で、例えば内務省はよりその緊張関係があるなど、省庁によってその状況は大きく異なっていた。大臣同士の大きな意見の対立がある際には、首相から直接電話を受け取り、クレッグ副首相や閣内大臣も巻き込んで交渉が行われた。

 こうした交渉における両党の譲歩は、それぞれの議員数にだいたい比例して大臣が選出され、それぞれの大臣の数にだいたい比例してそれぞれの政党の主張が通ったと言われている。その結果、どちらの政党がどれだけ譲歩を勝ち得たかは議員数にだいたい比例しているとも言える。連立政権の政党間での大臣数の割合は一定に保たれており、自民党の大臣が辞任する場合には自民党の議員が代わりに大臣に就任をしていた。それは、スピード違反の身代わり出頭で逮捕されたクリス・ヒューン(Chris Huhne)議員の辞職の際も同じであった。

 自民党関係者は、2010年の総選挙の自民党マニフェストの75%は実行されており、その意味では、連立政権を通じて自民党は大きな成果をあげることができたのは事実だと語っていた。特に最初の2年間については連立合意を着実に実行することにフォーカスすることが、自民党としても戦略の根幹であったようだ。しかしながら、大学授業料(tuition fee)問題やヘルスケア・介護ケア法(Health and Social Care Act)などについては、自民党マニフェストの根幹をなす政策であり、ここでやるべきことを実現しきれなかったことが2015年の総選挙の大敗にもつながっている、という反省が強かった。さらには、連立政権下では何が政府の政策であり、何が自民党の政策であるのか、それを明確にコミュニケーションすることが難しかった、という悔恨も聞かれた。当時の政府内外の論調として、実態としては自民党が議員数よりも不利であったという声も多かった。マニフェストに既に記載され、両者の連立合意に盛り込まれるような内容については、両政党の主張が実現されるような形をとりつつも、特に政権後半については、自民党は越えてはならないレッド・ライン(red line)に対する拒否権をもっていただけ、という見方だ。こうした外部の見方を、半ば認めるようなインタビューであった。

 いずれにしても、連立政権の発足直後に詳細な連立合意ができ、それぞれの政党のレッド・ライン(red line)が明確にひかれたことで、こうした交渉がスムーズに進められたことは事実のようだ。

【連立政権下での自民党内の政策調整過程】
 連立政権下、保守党色が強く自民党にとっては受け入れがたい法案や政策に対しても政党としての統一性を保つために、説得や事前調整などをおこなったが、保守党や労働党などのようなパトロナージュは使われていなかった。

 説得や調整の場としては、議会政党会議(Parliamentary Party Meeting, PPM)が毎週火曜日の午後に開かれており、そこに、全国会議員が招かれて、政策に関する意見交換が行われていた。自民党所属議員の説得に当たっては、連立政権の一翼を担っている自民党の国会議員としての集合的な責任があり、連立政権を成功に導くことが重要であると説かれた。それと同時に、この場で質問を取り、法案が議会に提出される前に事前に問題を解消することで、問題や不満の蓄積を防いだ。また、月に一度、全議員スタッフのミーティングも開かれていたが、バックベンチャーだけの公式な会議体は存在しなかった。

 自民党における院内幹事は決して、政府への投票を強制するのではなく、むしろ、オープンな議論を積み重ねることでその役割を果たした。保守党や労働党の執行部であれば、より、爵位や勲章も含めたパトロナージュによって所属議員に影響力を行使することもできるが、自民党においてはそれは非常に限られていたようだ。

 下院では自民党議員の造反によって政府法案が否決されたことはなく、2014年の小規模事業・ビジネス・雇用法案(Small Business, Enterprise and Employment Bill)の採決に当たって24人の自民党議員の造反などがあったが、結果的には法案は通過した。他方で、上院では数々の法案が自民党議員の造反によって否決された。

【保守党単独政権における政策決定過程について】
 連立政権時代と現在の保守党政権を比較すると、やはり、政策決定過程について大きな違いがある。保守党単独政権下では、首相レベルにおいては、保守党本部調査部で10年の長きにわたり勤め、その後、コミュニティ・地方自治大臣のスペシャル・アドバイザーとなっていたシェリダン・ウェストレイク(Sheridan Westlake)が、首相官邸にシニア・スペシャル・アドバイザーとして加わった。全ての省庁における政策決定が、保守党政権で明確になった政治的アジェンダに沿ったものとなっているか、ウェストレイクのチームが確認している。連立政権時代にもそのような機能はあったが、保守党単独政権で政治的アジェンダそのものが明確になったために、このような機能がより強固となった。単独政権の現在は、閣内大臣と閣外大臣の間の明確な上下関係がある。