第1章(7)毎年秋の党大会は党の趨勢を決める…こともある

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
 (1)保守党は組織とは呼びづらいモザイク状のコミュニティ
 (2)党本部は党首を支援するキャンペーンのプロ組織
 (コラム)保守党本部の職場環境
 (3)保守党調査部はエリートを抱え政治的ストーリーをつくる
 (4)保守党国際部は党の外交機能を持つ
 (5)税金を投じて途上国の政治に投資する
 (6)政党間国際連盟を通じて政党外交を行う
 (コラム)首相官邸・ナンバー10に「お邪魔しました」
 (7)毎年秋に開かれる党大会は党の趨勢を決める…こともある
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 保守党国際部での最初の仕事は2012年の10月に開かれた保守党の党大会の準備だった。イギリスでは各政党が春と秋に大きな会議を開き、秋は9月から10月の初旬にかけて議会が休みの間に、主要政党が週替わりで3~5日程度の日程で党大会を開いていく。保守党の場合には党大会(Party Conference)と春のフォーラム(Spring Forum)と呼ばれ、そのそれぞれで、ボランティア組織の全国大会が開かれる。秋の党大会と春のフォーラムの目玉は何といっても、与党であれば首相・閣内大臣や党の重責を担う人物、野党であれば党首やシャドウキャビネットの閣僚が連日繰り広げるスピーチだ。これらのスピーチの内容はリアルタイムでメディアで取り上げられ、繰り返し論じられ、政局の趨勢を決めることすらある。その他にも、党大会期間中は様々なシンクタンク、NGO、民間企業がスポンサーとなるパネルディスカッションや講演、ディナー、パーティなど、常時三つ以上のイベントが目白押しである。こうしたイベントに全国の保守党党員や地方議員、国会議員が集まってイベントに参加する。それに加えて、海外の姉妹政党の議員やスタッフ、各国の駐英国大使館の大使・公使や高等弁務官(High Commissioner、イギリス連邦内の大使に相当する外交官)も参加する。

 国際部の一員として働いていた私の仕事は、もっぱら、各国の大使・公使や高等弁務官を含めた海外からの招待客のための仕事であった。具体的な仕事の内容は多岐にわたった。FAXや手紙で手書きできた参加連絡を読み解きながら参加者名簿を整理することもあった。参加者の宛名の敬称については、単純にMrやMrsではなく、人によって、H.E.(His/Her Excellency)だったり、貴族の呼び方だったりするため、注意して調べなければならなかった。その名簿が完成したところで、名簿から宛名を印刷してラベル作成をして、招待状を発送する作業をすることもあった。姉妹政党の一行については、国際部でその行程全体をアレンジする必要があり、ディナーの予約やタクシーの手配なども行った。上記の様々なイベントの中から、こうした招待客にとってより興味を持ちうるイベントを集めて、「おすすめ」のイベント集のようなリストも作成した。各国大使館や姉妹政党からの国際部の招待客が入ることのできるホスピタリティ・エリア(軽食や飲み物などが置いてありくつろげるスペース)へのアクセスが必要な方々のリストも作成した。さらに、招待客が個別の庶民院議員や現職の閣僚とのミーティングをするためのアレンジなどもした。こうした保守党議員が姉妹政党から派遣される議員を事前に理解するためのブリーフィング資料も作成した。派遣議員も先進国の議員であれば、彼らを紹介する資料には事欠かないため、ブリーフィング資料を作成するのは容易だが、発展途上国の議員の場合にはそうした資料があまりネット上には存在しないか、存在しても、英語以外の現であったりする場合がある。そのため、オンライン上の翻訳ソフトやフェイスブックにLinkedInなどのSNSを駆使しながら情報収集して、ブリーフィング資料をドラフトして、地域ごとのエキスパートに内容を確認してもらっていたがことが懐かしい。このような党大会の準備作業そのものは、特段、イギリス政治の本質に迫るような重要な業務というわけではなかったが、私が保守党本部の環境に慣れながら、その中で徐々に知り合いを広げる良い機会となった。

 党大会での党首・首相などのスピーチが政局の趨勢を決めることもあると書いたが、実際、現在のキャメロン首相は2005年に野党時代の保守党の党首になった後、2007年の党大会でのスピーチでその後の政権交代の流れを作ることに成功した。当時は、1997年から十年間続いた三期目のブレア首相からブラウン首相へと首相が交代したタイミングであった。その後は人気が落ちていく当時のブラウン首相であったが、7月の政権交代直後は支持率も高く、夏は議会が休会で政治的な動きが少ないこともあり、党大会のタイミングではブラウン首相の人気は健在であった。党大会でのスピーチは通常、一時間弱の間、スピーチをし続けるため、普通は原稿をもってそれを読み上げるスタイルが一般的だ。しかし、キャメロン党首は賭けに出て、わずかなメモを手元に、一時間ほどほぼ何も見ずに語り続け伝説となった。ブレア首相からの政権移譲の直後に解散総選挙に打って出ると見られながらもそうなかったブラウン首相に向けて、スピーチの最後で「解散総選挙をすればいい。有権者に決断をしてもらうべきだ。(選挙に)勝利をするのは英国である(Call the General Election. Let the people decide. Britain will win)」と言って解散を迫り、政権交代の準備ができている党首・政党の存在を印象付けた。

 一方で、同じような試みが裏目に出ることもある。労働党の元党首のミリバンドは2012年と2013年の党大会のスピーチにおいて、以前のキャメロンと同じく原稿を読まずにスピーチをした。そして、2015年の総選挙を8か月後に控えた大切な2014年の党大会においても同様に原稿を読まずにスピーチを行った。そして事故が起きた。保守党・自民党連立政権は2010年から2015年のその政権の間、執拗に2010年までの労働政権時代の財政運営と、2010年以降の野党としての財政政策に対する準備不足を批判し続けてきた。そして、有権者もそれを認識していた。にもかかわらず、こともあろうか、ミリバンドは党大会の大事なスピーチで財政赤字について触れる一節を忘れてしまう。メディアはミリバンドが財政に触れなかったことを取り上げ、ミリバンドのスピーチのメインストーリーとなってしまった。ミリバンド自身も自らの過失の重さを重く承知しており、自分自身に対する憤怒のあまり、自分の部屋から出ることを嫌い、党大会の締めくくりのパーティにも参加しなかったという*2。イギリス政治において党大会のスピーチはそこまで重要な意味合いを持つものなのである。

 とはいえ、毎年定期的に行われているイベントであり、政治的な意義よりも、お祭り的要素も多分にあることも事実である。某庶民院議員に本音を尋ねてみると「かつては党大会において真剣なディベートが行われていたが、今はこれまでずっとやっているから続けているだけで、現代において何らかの価値があるものだとは思えない」と漏らしていた。「党大会はあまり行く気がするものではないが、行ってみると、それはそれで楽しいものでもある」とも付け加えていた。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:The undoing of Ed Miliband – and how Labour lost the election | General election 2015 | The Guardian