第2章(8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
 (1)バックベンチャーという哀しい響き
 (2)有権者からの陳情対応では政府との中立性を保つ
 (3)庶民院議員は週に1日半を地元で過ごす
 (コラム)庶民院議員の家庭生活
 (4)与党のバックベンチャーは造反行動で存在感を示す
 (5)与党議員でもバックベンチャーの影響力は弱い
 (コラム)イギリス政党における派閥
 (6)首相を引きずり下ろすことは極めて難しい
 (7)首相は院内幹事を通じて与党議員をコントロールする
 (コラム)イギリス議会の採決
 (8)イギリスは5年間のまとまりで政策実現を目指す
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 序章ではイギリスにおける大胆な政策変換の歴史について触れたが、それでは、イギリスでは政策の立案から実行まで、ごくごく短期間でそのサイクルを回しているのか。答えはその反対で、イギリスでは非常に安定した長期間のサイクルの中で、大きな政策の立案から実行までを行っている。

 まず、政策立案の準備期間であるが、政党が政権に入る前の野党時代から、数年単位でその準備期間があるのが通常である。1997年に保守党から労働党へと政権交代を果たしたブレアは、1994年から野党労働党の党首を務めており、政権交代まで3年程度の時間があった。ブレアは労働党党首になった翌年の1995年には、党綱領から「生産と輸送手段の共同保有」という、「生産と輸送手段の国有化」と解釈されていた文言を削除して、自由主義経済と福祉政策の両立を目指す「第三の道」を唱えた。1996年には政権交代を果たした際の三つの優先政策領域に関して「教育、教育、教育」と述べ、1997年の政権交代に向けてその政策を準備していった。2010年に労働党政権からの政権交代を果たしたキャメロンは、野党時代の党首になったのは2005年であり、実際の政権交代まで結果的には5年弱の時間があった。保守党の党首に選出されたキャメロンは、直後に、次期総選挙のマニフェスト作成に向けたポリシー・レビュー・グループを立ち上げ、18ヶ月以内に政策を確立すると宣言した。また、2015年の総選挙では結果的には保守党が単独過半数を獲得したが、仮に事前の予想の通り労働党への政権交代が実現していた場合、エド・ミリバンドは党首に選出された2010年から5年弱の時間があったこととなる。

 このように比較的長い準備期間があるのは、偶然によるところも当然あるが、「首相を引きずり下ろすことは極めて難しい」でも述べたような、党首という地位の安定性にも理由がある。イギリスでは、野党の党首を改めて選出するということは、基本的には次の総選挙に向けた総理候補を選出する、という意識がある。党首として不信任を突きつけられたかつての保守党党首ダンカン・スミスなどの例外はあるが、多くの野党党首が総選挙を戦い、首相となるか敗北して辞任をしている。そして、その総選挙は過去およそ平均4年に一度実行されている。仮に選挙のたびに野党の党首が変わったとしても、政権交代までに4年程度の時間があるのだ。この点は、日本とは、大きな違いがある。日本には衆議院参議院があり、マニフェストを作成しなければならない国政選挙が約1.5年に一度あり、なおかつ、参議院選挙の場合には選挙の勝利がそのまま政権交代にはつながらない。日本の野党党首は短期間でマニフェストを作成して、頻繁にある選挙を戦い続け、そこでの勝利を積み重ねていく必要がある、という意味で政権交代そのものへの準備がイギリスに比べて難しい。

 実際、2005年から2010年にかけて、キャメロン率いる保守党は、政権交代に向けて実に入念な準備を行った。その内容は国立国会図書館のレポート*2が詳しいがその概要は以下の通りだ。2005年に立ち上げられたポリシー・レビュー・グループは、欧州問題や移民問題、犯罪など、かつての保守党を分裂の危機にまで追い込んだ問題には触れず、党内融和を重んじて6つのグループで構成された。この検討には保守党に近いとされるPolicy ExchangeやPolicy Research Centre、Civitasなどのシンクタンク、各種専門家、影の大臣、元閣僚や元官僚など、幅広い人材が動員され、政策バンクのような位置づけで様々な政策のアイデアが集められた。2007年の党大会に間に合うように作業が進められ、同年9月に全てのレポートが発表された。しかし、ものによっては千ページを超えるなどレポートの分量が多すぎ、マニフェストの基礎としては一貫性も欠き、いかなる拘束力も与えられなかった。その後、保守党は2年間をかけて、保守党調査部がドラフトし、シャドウキャビネットによって最終化された20個のグリーンペーパーを発行した。こうして、2009年の後半には調査部が全体のプロセスをリードしながら、マニフェストのドラフトが作成され、党のウェブサイトに掲載された。マニフェストの最終化に当たっては、影の大臣の意見も反映されているものの、最終的な決定権はキャメロン(影の首相)、オズボーン(影の財務大臣)、レトウィン(調査部議長)の三氏が握ったとされている。2009年にはさらに実行チーム(Implementation Team)が立ち上げられて、政権交代に向けた準備が加速された。実行チームは政権交代後の着実な政策実行を目的として、マニフェストの章ごとに、関連する影の大臣がリーダーとして任命された。彼らの多くは2010年の政権交代時に、実際に当該省庁の大臣に就任したため、ここでの検討の内容を直接的に活用することが可能であったはずである。ちなみに、議員秘書の活動の中で紹介したように、大臣以外の議員と公務員の接触がイギリスでは禁じられているが、総選挙の16か月前からは例外として、野党幹部と各省幹部職員が協議する慣行(ダグラス-ヒューム規則)がある。2010年の総選挙については、ブラウン首相がキャメロン党首の要請に応じ、2009年1月から保守党幹部と各省幹部職員の協議を許可したと伝えられる。2009年の後半には、実行チームの幹部がそれぞれの影の大臣と面談を行い、実行計画、優先順位、スケジュール、想定リスク、担当者などの項目を確認したとされている。

 このような政権交代準備プロセスは、ブレアによる政権交代準備でも、保守党による政権交代準備と同じような過程をたどっており、キャメロンはブレアにかなり影響を受けたのではないか、と言われている。ブレアは党首に就くと党首のリーダーシップの下で一連のポリシー・レビュー・グループを組成し、ブレア党首が政策のコントロールを握った。このような動きは、より党大会での政策決定を重視していた時代から、より中央集権が進んだことの一つの証でもある。教育政策、医療政策、治安政策(犯罪)、経済政策などの国内政策の多くはゴードン・ブラウンによって入念に準備がされ、労働政策であるNew Dealなどは政権交代前から政府との政権交代準備が時間をかけて行われていた。実際に政権交代が実現すると、多くの影の大臣がそのまま労働党政権で大臣となり、政策形成や政策準備の一貫性が担保された。

 このように、イギリスでは野党時代から一貫した党首のもとで時間をかけて政権交代後の政策が形作られ、そして、その実行に向けて入念な準備がされている。そして、ひとたび政権交代が実現すると、次の総選挙までの時間でマニフェストに掲げた政策の実現を目指す。これまで何度も触れてきたように、貴族院には選挙がない。したがって、過去およそ4~5年程度の期間で政策実現が目指されてきた。政策をどの順序で実現していくか、という点には大きな戦略性が求められるが、これが5年間という長期間であるため、その計画性も高くなる。一般的に、国民に不人気の政策は、政権と有権者のハネムーン期間と呼ばれる、政権交代直後に実行されると言われる。2010年5月からの連立政権でも、6月には消費税増税の方針が示され、10月には包括的財政見直しの中で大幅な財政カットが打ち出され、同月には大学の学費値上げの方針も示された。総選挙を5か月後に控えた2014年12月の予算編成方針(Autumn Statement)において、オズボーン蔵相が、国民健康サービスの予算拡大、所得税法人税の減税、先進諸国の中でもっとも速いスピードで成長する経済を強調したこととは、非常に対照的である。5年間という時間をかけて、その中で政権としての政策実現の戦略を描く自由度の高さが、ここに表れている。

 なお、新しい政策を取り込む努力は、野党時代だけではなく、与党時代にも継続されている。保守党は2012年1月に保守党政策フォーラム(Conservative Policy Forum)という全国的なグループを再度立ち上げた。連立政権発足時に定めた政策プログラムが、2012年の中頃までにはほぼ実行に移されていくとの見通しの中で、その先の2015年や2020年を見据えた、新たな政策づくりというのがこのグループの目的である。2007年のレポートと同じく、フォーラムの議論の内容はマニフェストに対して拘束力を持たないが、新たな政策の取り込みと、市民・党員の巻き込みを目的としてこのような活動がされている。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:宮畑建志 (2011) 英国保守党の組織と党内ガバナンス : キャメロン党首下の保守党を中心に. 国立国会図書館「レファレンス」. 2011.12.