序章(1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2010年1月中旬、コロンビア大学公共政策大学院の公共経営学修士課程1年生であった私は、大学院主催のキャリアセミナーに翌日から参加するために、アメリカの首都ワシントンDCに来ていた。卒業生などから生の話を聞く機会を通じて、自分自身のキャリアを考えるとともに、修士課程の1年生と2年生の間の夏休みに行うインターンシップを獲得するきっかけをつくるためである。オバマ大統領の選挙戦略を担当したと言われるデービッド・アクセルロッド氏の、ポールスター(pollster)という仕事に興味を持っていた私は、ワシントンDCでは何とか、そのようなキャリアを持つ人とのコネクションを作りたいと願っていた。

 もともとは、日本の将来に資する「政策」の勉強をしたいと考えて留学したのではあったが、このころの私の主な関心事項は「政治」にシフトしていた。もとより留学期間の2年間で広く・深く「政策」を学ぶことはできないため、「政策」と「政治」をより広く学びたいという意向があった。こうした公的セクターで将来的に貢献していくに際しては、専門家というよりも実務家としてインパクトを出すイメージを持っていたため、何をするか(what)だけではなく、どうそれを実現するか(how)に対する知見を深めたいとも考えていたからだ。また当時、劇的な政権交代とともに始まった日本の民主党政権で、彼らが掲げたマニフェストという「政策」の実現について苦境が伝えられていたことも、「政治」に大きな興味をもつきっかけだった。

 民主党政権は、政権発足前に当時の代表代行の菅直人氏を団長とする視察団をイギリスに送り、政権交代後の政権運営の参考としていた*2。実際、2009年総選挙における民主党マニフェストには、100人規模の政務三役による政治主導、事務次官会議の廃止、国家戦略局の創設など、イギリスの政治制度を彷彿とさせるような、政治システムの改革が盛り込まれていた。それらの制度は民主党の視察団が、イギリスにおける「政治主導・官邸主導」を可能とさせている、日本との違いとして特定したものであったはずだが、2010年の1月には徐々に、日本ではそれらがあまりうまく機能していない、ということが分かってきていた。議院内閣制で二院制をしく、表面的には似ている日本とイギリスの政治システムにおいて、イギリスでは成功している個別の取り組みが、なぜ、日本では機能していないのか、それを理解することで、日本の政治の仕組みがよりよく理解できるのではないかと考えていた。

 冬休みを東京で過ごして、大学院のあるニューヨークではなく、キャリアセミナーの行われるワシントンDCに直接移動していた。時差などもあり疲れていたが、せっかく普段はあまり訪れることのないワシントンDCに行くので、事前にワシントンDC在住の友人に声をかけて、お互いの友人同士の交流会をしていた。一次会のマレーシア料理レストランから、二次会のバーに場所を移して、お互いの興味や留学をするに至った動機など、海外にいる興奮も手伝ってか誰もが熱っぽく話をしていた。そして、その交流会の前から知り合っていた友人から、私は今でも忘れられない、しごく全うな素朴な指摘を受けた。「だったらイギリスで勉強したほうが良いんじゃないの?」と。いろいろな答えが頭をよぎったが、いずれも言い訳にしか聞こえないような理由だった。正しい質問の力強さに、座っていたソファが重く沈んだように感じた。

 幸いなことに私が留学していたコロンビア大学行政学修士のプログラムには、英国のロンドン大学政治経済学院(以降、LSE)や日本の東京大学を含む、米国外の複数の大学との提携関係(Global Public Policy Network)があった。それを使えば、デュアル・ディグリー・プログラムに切り替えて、一年目をコロンビア大学で、二年目をLSEで勉強し、双方の大学院の公共経営学修士プログラムを卒業することが可能だった。ホテルに戻るとすぐに、そのデュアル・ディグリー・プログラムへの切り替え申請の期限を調べた。期限は2月1日。まだあと2週間ある。それからは、実際のキャリアセミナーの本番は明日からだというのに、ワシントンDCにいる残りの時間、「どうやったらイギリスに行くことができるか」「何をその申込書に書くか」を考えることで、頭がいっぱいだった。

 応募書類は4つのエッセイだった。エッセイの課題文は、(1)自分自身のプロフェッショナル・ゴール(職業人としてのゴール)、(2)なぜデュアル・ディグリー・プログラムに応募したいのか、(3)もし歴史上の人物とでも架空の人物とでも、誰とでもディナーができるのであれば、誰とディナーをしたいか、(4)その他、応募審査委員会に伝えたい情報、の4つであった。大学院進学のための応募書類や、進学後の機会などでこうしたことはよく考えていたので、エッセイを仕上げることにはそこまで苦労はしなかった。応募書類を提出してから二週間ほどで、デュアル・ディグリー・プログラムへの切り替えを認める通知を受け取った。

 プログラムを切り替え、イギリスにわたり、日本がその政治システムのモデルとしたイギリスの政治の仕組みを勉強できると思うと嬉しかった。そして、無事に卒業した後は、当時の状況で2010年5月の総選挙で政権入りが有力視されていた、イギリスの保守党本部で働きたいと漠然と考えていた。大学院にいてイギリスの政治を外から勉強するだけではなく、実際にイギリス政治の現場に行き、そこでシステムがどう機能しているかを目の当たりにしたいと思っていたからだ。日本での政治の経験は皆無に近かったが、比べる対象としてのイギリス政治における自分の知識と経験をベースとして、日本の政治での経験が豊富な方々と話をすれば、いろんなものがよりよく見えてくるのではないかと期待していた。

 イギリス政治を勉強しにイギリスに行くというのは、非常に分かりやすいが、正直なところ不安もあった。結果的に、論文などをベースに勉強するのであれば、別に場所がイギリスである必要もない。物理的な場所がイギリスであることの重要性は、そこで、イギリス政治に詳しい人々とたくさん議論をし、イギリス政治を経験して初めて意味がある。もし、学校の課題に忙殺されてしまい、そういった経験ができないのであれば、もしかしたら、わざわざビザ取得や転居などへの時間やお金の投資をしてまで、イギリスに行くことの価値はないかもしれない。卒業後に保守党本部でインターンをしたいと考えていたとはいえ、イギリスのローカル事情をきちんと知らず、まして、英語がネイティブではない自分には、希望通りに働くことができるかどうかは全く予想がつかなかった。どちらかといえば、希望通りになる可能性の方がずっと低い。ニューヨークで深まり始めていたネットワークを放棄してまでイギリスに行くべきかどうか、正直なところ1ヶ月ほど迷った。

 未知のことを経験するために、新しい場所へ行こうとしている。自分一人では考えが前に進まないので、イギリス政治をよく知る人たちにアドバイスを求めた。1人は私のコロンビア時代の友人が紹介してくれた、イギリスに6年の滞在経験を持ち、イギリス政治に非常に詳しい日本人だ。今では親友の彼に、初めてスカイプで相談した時、彼がイギリス政治の魅力を熱く語ってくれた。そして、その彼がイギリス政治の入門書として私に紹介してくれたのが「イギリス政治はおもしろい(PHP新書)」だった。彼らの視点で語られるイギリス政治に改めて魅力を感じた。そして、最後に私の背中を押してくれたのは、まだ保守党が野党時代に、保守党でキャメロン党首とともに働いていたという若いイギリス人エリートだった。当時、彼はロンドン・ビジネス・スクールに通っていたが、そこに通う私の友人に紹介してもらって、同じくスカイプで話を聞かせてもらった。彼にイギリス政治の魅力を、中からの視点としても語ってもらったことで、自分の気持ちがさらに高まった。ただのリップサービスだったと思うが、卒業後にインターンを得られる可能性も、十分にあると言ってくれたことで、私の心も固まった。こうして私は、アメリカ政治の中心地であるキャピトルヒルでその発想を得て、イギリス政治の中心地であるウェストミンスターを目指すことを決意した。

 結果的には、LSEにて公共経営学修士プログラムの2年目を無事に修了し、イギリスの様々な政治の現場で仕事をする機会に恵まれた。保守党本部では保守系の政治エリートの登竜門と言われる調査部において、広報活動のための政策調査を実施した。同じく保守党本部の国際部では、2011年10月の党大会の準備や中道右派の国際的な政党連盟の国際会議の実施をサポートした。2012年5月に行われたロンドン市長選挙では、現職候補であったボリス・ジョンソン氏の選挙対策本部でマニフェスト作成から、公開討論会のためのブリーフィング、対立候補者分析など選挙戦略の中枢を担った。さらにロンドン市長選挙の後は、3か月強にわたり、ジェイコブ・リース・モグ(Jacob Rees-Mogg)庶民院議員(イギリス議会の下院)の議会内秘書として、委員会活動や法案修正のための政策調査、選挙区市民からの陳情対応をサポートすることができた。この長期連載では、こうした経験をもとに、イギリス政治の知識だけではなく、イギリス政治の現場の空気を伝えたいと考えている。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

*2:菅直人 (2009) 大臣 増補版. 岩波書店.