第4章(5)保守党のキャンペーンの本質は何だったのか:フレーミング、40/40、死んだ猫、くさび…

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
 (1)イギリスの総選挙における4つの投票パターン
 (2)不確定要素の焦点は二つのナショナリズムであった
 (コラム)ブレグジットへの通過点としての2015年
 (3)ナショナリズムの不確定要素は「政権選択」を複雑にした
 (4)直前の世論調査ではハング・パーラメントが確実視されていた
 (5)保守党のキャンペーンの本質は何だったのか:フレーミング、40/40、死んだ猫、くさび…
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 前項の通り、キャメロン首相ですら投票締め切りの数時間前に敗北スピーチの練習を行っていたような状況の中、オーストラリア出身のリントン・クロスビーとアメリカ出身のジム・メシーナという、保守党の二人の選挙ストラテジストは勝利を確認していた。彼らはどのような選挙戦を仕掛けていたのだろうか。

 まず、保守党本部の証言は、洗練されたマーケティング手法をその成功の本質に挙げた。概括的に言えば、今回の選挙ではキャンペーン活動の質としてもこれまでになく洗練されたマーケティング手法を用いており、さらに、その活動の量としてもこれまでにない大規模なものとなった。より具体的には、ターゲット選挙区の有権者のプロファイリングで7つのカテゴリーにセグメンテーションして、それぞれにもっとも効果的なスクリプトを作成して展開した。プロファイリングの軸としては年齢や性別などの属性に加えて、投票意向や政策に対する興味など多岐にわたる変数が用いられた。これらのセグメント分けしたスクリプトを同じ有権者に対して、複数回に分けて異なるスクリプトを届けることで、それぞれのセグメントに訴求力のあるスクリプトを配信した。スクリプトを届ける媒体としては、SNS、ダイレクトメール、電子メール、電話、戸別訪問などの目に見えない手法を圧倒的に増やした。キャンペーンの質に関しては、間違いなく労働党よりも洗練された手法を用いた一方で、キャンペーンの量としては労働組合を動員できる労働党には及ばないと自己評価する一方で、どちらもアメリカのキャンペーン手法を見ているという点では、程度の差はあれ、同じような方向に向かっているのは事実とも認める。こうした保守党のキャンペーン活動を可能にしたのは、党幹部であるフェルドマン貴族院議員が陣頭指揮をとったファンドレイジングの成功であるようだ。民間PR会社もSNS会社の内部の声を引用しながら、保守党は労働党と比較して圧倒的な規模で、SNSなどのデジタルマーケティングに投資をしていたと話していた。

 次に保守党議員は、そうした洗練されたマーケティング手法に加えて、古典的な選択と集中の徹底を成功要因として挙げた。今回の総選挙のキャンペーンでこれまでとは違うことの1つは、これまでよりも、投下リソースをターゲットシートに集中させることへの規律が非常に高かったことである。これは、2010年の総選挙で勝利した40の激戦区を守り、前回の総選挙で敗北した40の激戦区を奪取する戦略として40/40と呼ばれた*1。投下リソースというのは目に見える政党幹部の訪問だけではなく、プロのキャンペーンマネジャーの派遣やマニフェスト作成等にも用いられる情勢調査の実施とその結果の選挙戦全体への反映、FacebookなどのSNSを通じたマーケティング活動の資金源など、あらゆる意味でこれら80の選挙区を優先して、リソースを投下した。話を聞いた保守党議員は2015年の総選挙で初当選した新人議員だったが、選挙区はセーフシートであったこともあり、ターゲットシートであった隣の選挙区の活動を支援している時間の方が、自分の選挙活動の時間よりも長かったと語るほどだ。テクノロジーの進化により、ある有権者がベース層なのか、スイング層なのか、アンチ層なのかがより詳しく分かるようになり、それによってミクロのレベルでもリソース投下がより細かくターゲティングされたことは確かだ。ただそれでも、キャンペーン全体のメッセージングや、確固としたマニフェスト、政党としてのイメージやリーダーの重要性などのファンダメンタルは変わらず、このファンダメンタルをより効果的にするためにテクノロジーがその役割を増したと捉えている。

 また、高級紙の1つであるガーディアン紙は、第3章で紹介した「死んだ猫」と「くさび」の合わせ技を、今回もクロスビーが繰り出したと見ている*2労働党がこの選挙戦で勢いを得ていた選挙一か月前の4月8日、ミリバンドは、英国に居住していない英国市民の海外における所得には課税しないという公約を発表した。それは、それまでの流れを確実なものとして、選挙に勝利するための、労働党陣営としてのダメ押しの一撃であるはずだった。しかし、そこで「死んだ猫」が放たれたというのだ。保守党のファロン防衛相が突如、ミリバンドに対する苛烈な攻撃を開始したのである。「ミリバンド労働党の党首となるために兄を背後から刺した。今度はミリバンドが、スコットランド国民党との政権合意を得て首相となるために、イギリスを背後から刺す」と。イギリスには原子力潜水艦に搭載されている弾道ミサイル「トライデント」に関して、保守党も労働党も、核の抑止力としてそれを更新する方向性を示していた*3。しかし、スコットランド国民党はこのトライデントを更新せず、児童福祉や教育、医療に投資する公約を掲げていた。労働党スコットランド国民党との連立合意のために、この方針を破棄するのではないか、という主張をしたのだ。さらに、「労働党スコットランド国民党と連立政権を組成する」という「くさび」が英国独立党の支持層に向けて放たれた。英国独立党の支持層としては、自らの支持通りの投票で労働党に利する結果をもたらすのか、第二希望である保守党に投票をして労働党スコットランド国民党の連立政権という、彼らにとっての悪夢を阻止するのか、その選択を迫られた。結果的に、全有権者の約2.5%が自らの英国独立党への支持を翻して、保守党に投票したと分析した。

 世論調査会社の幹部は選挙全体のフレーミングを最重要点として挙げた。保守党の戦略の根幹は、繰り返し、繰り返し、「保守党に投票せずに、他のどれかの政党に投票をすれば、それはミリバンドスコットランド国民党、英国独立党が政権・議会にくることを意味する」と訴え続けたことであり、そうした有権者の恐怖にうまく訴求することができたと話す。この選挙戦でも使われたと言われる、「死んだ」戦略や「くさび」戦略は、フレーミングを支えるメッセージ展開の戦術であり、40/40はそのメッセージをどこで展開するかを定めた地理的な資源配分の戦術であると話す。