第4章(1)イギリスの総選挙における4つの投票パターン

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
 (1)イギリスの総選挙における4つの投票パターン
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 日本ではよく「イギリスでは政党主導の政策・マニフェスト本位の選挙が行われている」という主旨の言説をみかけるが、これは半面正しいが、もう半面は誤りであろう。

 イギリスの選挙が政党主導であるという主張は正しいと思われる。本連載においても、保守党の現職議員が、いかに彼らが自らの得票を政党に依存しているかを証言していることを記載した。もちろん、得票の一部は候補者個人の努力によるところもあるであろうし、当落ラインが微妙な場合には、そのような候補者個人の資質や努力が勝敗を左右することもあるであろう。だが、ロンドン市長選挙のような公選市長の選挙を除くと、総選挙結果は多かれ少なかれ、候補者ではなく政党によって決まる。

 だが、イギリス有権者の多くが政策やマニフェストで投票を決めているかどうかは疑わしい。私が選挙対策本部で働いていたロンドン市長選挙でも、ボリス・ジョンソンは200ページ弱のマニフェストを出していた。2015年の総選挙でも、各主要政党は保守党と労働党が80ページ程度、自由民主党は150ページ超のマニフェストを出している。感覚論だが、どれも政治的レトリックに彩られていて、何が本当に言いたいのかその意図が見えづらいうえに、お世辞にも、読んでいておもしろいものとは言えない。イギリスの一般紙の一つであるガーディアン紙が2010年の総選挙の直前に行った世論調査では、二択式の質問で、27%の有権者が「投票の際の重要な道しるべである」と回答しているが、このような世論調査に答える有権者でさえ27%に留まっていたことに加えて、実際に彼らがどの程度マニフェストを読んでいるかは不明である*1。また、2015年総選挙でリントン・クロスビーと並んで、保守党の選挙ストラテジストとなったジム・メシーナは、平均的な有権者は週に4分ほどしか政治のことを考えない、とも発言している*2

 では実際には、有権者は政党の何を基準に投票先を決めているのか。学術的な研究が進むことが待たれるが、2015年の総選挙に保守党、労働党自由民主党選挙対策本部の中枢として関わった方々や、アクティビストとして関わっ方々、学者や世論調査会社として選挙を分析した方々等、合計20件弱のインタビューを総合すると、有権者は概ね以下のように主に四つの基準で自らが投票する政党を決めている。(1)政党のイメージや党是が自分に合っているかどうか、(2)重要政策に関する立場のバランスが自分の支持する方向性と合っているかどうか、(3)各政党の党首が首相にふさわしいかどうか、そして、(4)自分が普段目にする新聞や専門家が誰を支持しているかである。

 それぞれの有権者が何を支持しているかはともかくとして、有権者の間には政党の党是に関してある程度明確なコンセンサスがある。保守党であれば「小さな政府」、労働党であれば「大きな政府」、自由民主党であれば「リベラルな社会政策」、英国独立党であれば「EU離脱を含めた国家主権の回復」、スコットランド国民党であれば「スコットランドの独立」、緑の党であれば「環境保護」などである。こうした原則論で支持政党を決めている有権者は基本的にはそれぞれの政党のベース層である。一方で、それ以外の三つの要素で選択をしている有権者は全体のスイング層であろう。大きなフレームワークとしての党是では自らの支持する政党が決まらない場合には、経済・財政政策や国民健康サービス、対EUなどの外交政策などのより具体的な重要政策のバランスでその支持を決める場合もある。また、特に二大政党である保守党や労働党の場合には、勝利した政党の党首がそのまま首相になることが期待されている中で、どちらの党首が首相にふさわしいか否かという視点で選択をする有権者も多い。さらには、自分が普段目にする新聞や専門家がどの政党を支持しているかによって、自覚的にも無自覚的にも投票先を決めている有権者も多い。イギリスの新聞は日本の新聞とは異なり、その選挙ごとにどの政党を支持するかという立場を明確にすることが多い。新聞は影響力が大きいだけに、包括的な政策パッケージへの評価よりも、メディア規制に対するスタンスや個別の利益供与などで支持を決めているのではないか、という疑念も指摘されているが、直近でもなお影響力を持っていることは事実だ。有権者はこのような選択基準に関する情報を、日常や選挙直前のマスメディアの報道、選挙直前のマスメディア主催の党首討論会、政党の日々の広報活動や選挙前のキャンペーン活動、有権者と政党の政策のマッチングサイトなどのオンラインメディアなどから入手している。

 日本における「本家イギリスのマニフェスト本位の選挙」信仰が仮に幻想であった場合、有権者が投票先を決めるダイナミクスにおける、日本との主な違いは何であろうか。仮説的にはそれは主に以下の三つである。一つ目は有権者の投票行動で、先にも触れている通り、候補者ではなく政党主導の選挙で、有権者は候補者ではなく政党に投票をするということだ。二つ目は政党構造で、政党のイメージと党是が明確であり、有権者が政策面で各政党に何を期待して投票しているかが明確であるということだ。過去はさらに、上流階級・中流階級は保守党、労働階級は労働党というように、有権者の社会階級と支持政党が密接に紐づいていたため、さらに明確な選択と期待(投票と政策)がはっきりとしていた。日本では近年、日本の自由民主党を保守勢力と捉えるのか、リベラル勢力と捉えるのか、年代によって傾向が異なるという指摘があることとは対照的である。三つ目はマスメディアの一つである新聞各紙のスタンスで、新聞各紙が支持政党を打ち出して、報道を行いそれが一定の影響力を持っている点である。

 本章では、こうした日本とイギリスにおける選挙に関する違いを念頭に置きつつ、多くの専門家の選挙前の予測を裏切った、2015年のイギリスの総選挙を振り返りたい。先に触れた種々のインタビューにおける、戦略(選挙対策本部)、活動(アクティビスト)、分析(学者・世論調査会社)の第一線で活躍する方々の声を織り交ぜながら構成する。