第4章(2)不確定要素の焦点は二つのナショナリズムであった

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
 (1)イギリスの総選挙における4つの投票パターン
 (2)不確定要素の焦点は二つのナショナリズムであった
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2010年の総選挙から2015年の総選挙に至る過程で、どのようなトレンドが生じていたのであろうか。イギリス有権者が投票する候補者≒政党を決めるに際しての4つの主要な選択基準のそれぞれについて、何が論点となっていたのかを振り返りたい。

 投票に際しての主要な選択基準の一つ目である各主要政党の党是について、この5年間で非常に大きな変化が生じており、結果的にはこれが選挙戦の最大の不確定要素であった。各主要政党の党是への非常に大きな変化とは言っても、二大政党の保守党や労働党の党是が変化したとか、それに対する市民の見方が変化したということでもない。それまで、二大政党と自由民主党緑の党がイギリスの主要政党として掲げてきた党是に対して、新たに2つの党是が劇的な支持を集めるに至った。それは、イギリスにおける2種類のナショナリズムの高まりである。

 一つ目はイギリス国民としてのナショナリズムである。そもそもイギリスは、EU加盟国でありながら、自国通貨のポンドを持つ、やや特殊なEU加盟国であった。国民感情としても、欧州全域での共同体という将来のユートピアを目指す考え方よりも、将来にわたってもイギリスが独立国家であることを前提として是々非々で実利を取る考え方が根強い。そこに、2008年のリーマン・ショックに端を発して、ミクロの経済活動を通じて「イギリス国民の雇用が移民に奪われる」という感情が生じた。さらにマクロの経済活動を通じて、「イギリスの税金が放漫財政を続けるイタリア、スペイン、ポルトガルギリシャなどへの財政支援に使われる」という感情を生んだ。こうしたことを背景に、もともと存在はしていた英国独立党(UK Independent Party)のプレゼンスが一気に高まり、主要政党の一つとして数えられるようになってきていた。2012年の統一地方選挙では全体で10%程度の得票率を獲得するようになり、2014年の欧州議会選挙では情報通信庁(Ofcom)ならびに国営放送BBCが英国独立党を主要政党の一つとして見なした。その欧州議会選挙では、保守党や労働党を押さえて、イギリス国内の政党として最大の得票と議席を獲得した。2014年には庶民院議員の補欠選挙において、英国独立党初の庶民院議員を誕生させた。英国独立党の支持層は伝統的には保守党の支持層であり、英国独立党がどこまで保守党の得票を奪うのか注目が集まっていた。

 二つ目はスコットランド住民としてのナショナリズムである。歴史的にはスコットランドは自国の独立をめぐってイングランドと幾度となく戦争を繰り返してきており、独立に向けた意識が非常に高い文化を持っている。そのため先にもふれたように、2010年に保守党・自民党の連立政権が誕生する前から、ブレア政権下でのスコットランド議会の設立など、イギリス政府からスコットランドへの権限移譲が行われてきた。そうした中で、スコットランド国民党(SNP)は着実にその勢力を伸ばしてきて、近年はスコットランド内で独立に関する住民投票が行われるに至っていた。そうした流れは無視できない強さとなり、法的に拘束力のある形で、2014年に住民投票を行うことが、2012年に合意された。そして、2014年の秋の住民投票に向けて、まさにスコットランド有権者を二分する激論が戦わされ、そして、それに応じたキャンペーンが繰り広げられた。SNPが独立を支持する一方で、国政の主要三政党である保守党、労働党自由民主党は一致して反対の姿勢をとり続けた。このような勢いのあるキャンペーンや、メディアによる報道のためもあり、この過程においてSNPは地域の独立を求める地域政党から、国政の場で地域の独立を託す存在へと変化していった。SNPも国政の主要政党の一つと認識され始め、そして、あくまでスコットランド内の話ではあるが、「スコットランドの独立」が党是のレベルで選択肢の一つとして有権者に提示されることとなった。

 こうして、イギリスのナショナリズムの高まりとして「イギリスのEUからの離脱」が、スコットランドナショナリズムの高まりとして「スコットランドのイギリスからの独立」が主要政党の党是のレベルで出現した。

 有権者の投票に際しての主要な選択基準の二つ目は、重要政策に関する立場のバランスである。保守党、労働党自由民主党、英国独立党、スコットランド独立党、緑の党の主要政党のうち、後者三政党についてはその党是を巡るシングルイシューの政党と見られがちだ。したがって、重要政策に関するバランスという際には、基本的には保守党、労働党自由民主党の主要三政党の間で、それが争われていると考えられる。2015年の総選挙に向けて、有権者の意識の高かった主要な政策領域には、医療・社会福祉、教育、EUとの関係、経済・財政政策の四点があったが、保守党関係者は医療・社会福祉・教育が驚くほど争点にならなかった、と述べている。

 医療・社会福祉に関しては、連立政権下で様々な改革や制度変更があったものの、保守党を含めた主要三政党がいずれも予算を実質的に拡大するこにをコミットしたこともあり、社会全体の関心としては、現在の緊縮財政の中でいかにこれらの予算を守るかということに集中していた。世論調査会社へのインタビューでも、「医療は重要な政策領域ではあるが、どちらかというと、経済の結果として医療の支出を確保できるかが決まるとみられた上に、どの政党も方向性としては同じようなことを打ち出していたために争点とはならなかった」と述べている。

 教育についても、そのトピックの争点化で盛り上がりに欠けた。元来もっとも先鋭化された政策を掲げていた自由民主党が、連立政権を担った現実的な経験のためか、その切れ味を失っていたこともその一因かもしれない。また、先の保守党関係者は、フリースクールなどブレアライトの政策を保守党が受け継ぎ、二大政党の政策が似ていることも、教育が争点化されなかった要因に挙げている。

 EUに関しては先ほど述べたように、この問題はイギリス国民の大きな関心の対象となってきた。それに対して、保守党は党内で大きな温度差があり、EUを離脱するべきか否かについて公式見解はなく、2017年までにその是非を問う国民投票をすることを公約とした。労働党自由民主党はEUからの離脱を明確に否定していた。ただ、この問題に関して多大な関心を持つ有権者は英国独立党を支持する傾向が強く、主要三政党の間の争点としてはあまりクローズアップされない傾向にある。

 一方で、有権者の関心も高く、かつ、三政党が差別化を図ってきたのが経済・財政政策であった。経済・財政政策、政策と結果の因果関係がどこまで明確かの学術的な議論はさておき、その結果が如実に数字として表れるために、「結果」=「政府の実績」と認識されやすく、過去5年間の結果が強く問われていた。イギリス経済は政権交代が生じた2010年は不景気の渦中にあったが、結果的には、2013年には経済成長に転じ、先進国で最高の高成長を遂げつつ、財政赤字を大幅に削減することに成功した。これは、財政運営の中心にあった保守党にとって大きな追い風となった。