序章(3)政策転換の傾向は大きく異なる

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
 (1)キャピトルヒルからウェストミンスターへ
 (2)日本とイギリスの政治制度は似ているという誤解
 (3)政策転換の傾向は大きく異なる
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 イギリスは小選挙区制がもたらす二大政党制の中で、政権交代を繰り返しながら、大胆な政策変更を行ってきたことでよく知られている。1979年から1990年までの長期政権となったサッチャー保守党政権の下では、サッチャリズムとも呼ばれる経済政策の中で、電気・水道・ガス・通信などの生活インフラ、鉄道や空港などの交通インフラなど、大規模な公共部門の民営化が行われ、日本を含めた世界各国の公共セクターの民営化議論に影響を与えた。続く1990年から1997年のメージャー保守党政権では、基本的にはサッチャー政権での行政改革を踏襲し、プライベート・フィナンス・イニシアティブなどの行財政改革手法を生み出し、さらに、EU欧州連合の創設を定めたマーストリヒト条約を締結・批准した。

 1997年から2007年まで続いたブレア労働党政権では、国営の医療サービス事業であるNHS(National Health Service)や教育サービス事業において、大幅に予算を増額して抵抗勢力からの反発をかわしながら、医療や教育における業績評価基準の導入などを行い、サービス水準の改善が実現した。またブレア政権下では、後の日本の国家戦略局のモデルとなった戦略ユニット(Prime Minister's Strategy Unit)、実行ユニット(PM's Delivery Unit)、政策ユニット(PM's Policy Unit)、コミュニケーションユニット(PM's Communication Unit)などが内閣府に設けられ、ブレア首相と続くブラウン首相をサポートした。イギリスはスコットランド北アイルランドなどで独立問題を抱えるが、この間、スコットランド北アイルランドウェールズなどへの大幅な権限移譲も行われた。さらには、ブレア政権では前述した貴族院の改革にも着手をして、一定の成果を得た。

 2010年から始まったキャメロン保守党・自民党連立政権の下では、財政再建を掲げて大規模な財政削減を敢行するとともに、政権獲得の翌年には、日本の消費税にあたる付加価値税を17.5%から20%に引き上げた。結果的には、GDP比率の年間の政府借入は2009−10年から一貫して下がり続け、GDP比率での公的債務比率も2016年までに増加が一段落するところまで改善してきている。このように、イギリスでは保守党政権と労働党政権が政権交代を繰り返す中で、統治機構、行政サービス、経済・財政、医療・教育、外交、地方分権などのあらゆるところで、改革を繰り返しながら、一部の改革が政権を超えて定着して、政治・政策が前に進んできた。

 こうした、イギリスの大胆な政策変更は良い面ばかりではない。急進的な改革を重視するあまりに、その過程において様々な不都合が生じてきたことも事実であろう。サッチャー政権時代にはインフレ抑制策から失業率が急激に上昇した時期があり、公共サービスの民営化を巡っては、国内の労働者階級や教員などとの間で深刻な対立が生まれた。ブレア政権で押し進められた医療や教育における業績評価指標の導入においては、指標設定がされた部分ではサービス改善が見られた一方で、指標の設定がされなかった部分については悪影響が見られるなどの指摘が生じた。キャメロン政権の包括的財政見直し(Comprehensive Spending Review)においては、2011年から2015年で国から地方自治体への財政支援が27%カットされ、様々な住民サービス・支援が打ち切られることとなった。イギリス国民は、大胆な政策変更から実際に機能したものを残すことで、変革のスピードという便益を享受する一方で、そのスピードに実務や修正が追い付かず不利益も被ってきた。

 翻って日本の状況はどうか。民営化については、イギリスと同様に電気・ガス・通信・鉄道・郵便が民営化されたが、原発事故をきっかけに電力自由化の度合いが問題となり、水道や空港は多くがいまだ公的セクターに留まっている。医療の世界では、包括診療報酬制度(DPC)の導入や、研修医制度の導入がされるなど、少しずつ変革が生じているもののそのスピードは速いとは言えない。地方分権については長らく議論が続いているものの、一部の戦略特区などを除いてさしたる変化はない。消費税の引き上げに至っては、1997年に橋本政権で5%への引き上げが行われた後、幾度となく議論にはなるものの実現には遠く、2010年の菅政権でもその構想は失敗に終わった。野田政権でようやく、社会保障と税の一体改革という枠組みで、実施段階での見直しの余地を残して法案が成立し、2014年には8%に引き上げられた。その中にあって、政府内で首相を支えるブレーン機能はやや例外的な存在であり、小泉政権以降の経済財政諮問会議民主党政権における国家戦略室、安倍政権における産業競争力会議など、こちらはかなり柔軟に様々な会議体や組織が活用され「実験」が行われているのが分かる。

 イギリスが良いか、日本が良いか、という問題ではない。上述の事実の解釈に対しても、様々な見方はありうるが、大きな傾向としてはやはり、大胆な政策変更を繰り返す中で一貫性の欠如や不都合などを生むイギリスに対して、政策の一貫性や公平性が担保されている一方で経済や外部の環境変化に合わせた柔軟な変革が難しい日本、という構図を見て取ることができるのではないか。その違いがどこから生じているのか。私がイギリスに留学して学びたい、理解したいと考えた二つ目の問いはここにあり、一つ目の問いと合わせて言い換えると、「(イギリスとの比較で)日本の首相には大胆な政策変更が難しい理由は何であり、日本の民主党政権がそれを打破するためにイギリスから取り入れようとした制度はなぜうまく機能しなかったのか」ということとなる。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。