第1章(6)政党間国際連盟を通じて政党外交を行う

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
 (1)保守党は組織とは呼びづらいモザイク状のコミュニティ
 (2)党本部は党首を支援するキャンペーンのプロ組織
 (コラム)保守党本部の職場環境
 (3)保守党調査部はエリートを抱え政治的ストーリーをつくる
 (4)保守党国際部は党の外交機能を持つ
 (5)税金を投じて途上国の政治に投資する
 (6)政党間国際連盟を通じて政党外交を行う
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 国際部でのある日の仕事はちょっとした質問へ回答することから始まった。保守党は国際民主同盟(IDU)という中道右派の政党の国際連盟に加盟しているが、2012年はイギリスの保守党党首であるキャメロン首相がホストとして、各国の加盟政党のリーダーたちを集めた首脳会議(Leaders Meeting)を開催することとなっていた。その日の質問は他愛もないもので、その会議への参加登録の方法について、党所属議員から質問を受けただけであった。だがそれから約1か月後、その会議に実際にスタッフとして参加する、という幸運に恵まれることとなった。

 IDUの首脳会議は11月9日の水曜日の夜のディナーに始まり、木曜日は終日会議を続け、11月11日の金曜日のお昼に終了した。その後は、IDUリーダー会議の参加者のうち、欧州からの参加者が中心となり、金曜日の午後から土曜日まで、欧州保守改革同盟(Alliance of European Conservatives and Reformists)という欧州規模の政党のカンファレンスがありました。イギリスの保守党もこの政党の参加政党の一つである。欧州議会にはもう一つ保守系の政党として、欧州人民党(European People's Party)があるが、両者の大きな違いとしては、欧州保守改革同盟の方がより欧州懐疑派に近く、欧州全体の統合に消極的であることに対して、欧州人民党はよりそれに積極的である。

 水曜日と木曜日のIDUリーダー会議の会場がなかなか面白い場所であった。ナショナル・リベラル・クラブ(National Liberal Club)という、いわゆるジェントルマンズ・クラブの一つである。ジェントルマンズ・クラブは昔はその名前の通り男性しか入れない会員制のクラブであったところが多いが、現在では、どのクラブも男性も女性も参加できる。ナショナル・リベラル・クラブは1882年に、現在の自由民主党につながる当時の自由党Liberal Party)の政治活動に従事するアクティビストたちに施設を提供するために設立された。その意味では、当然ながら政治的にはリベラル(左派)の流れをくむクラブなのだが、既にその政治的な意味合いは薄れており、IDUのリーダー会議のように明らかに保守系(右派)のイベントの会場としても使えるようになっている。

 今回のIDUリーダー会議の会場としてナショナル・リベラル・クラブが選ばれたのは、その場所の利便性と大規模な会議ができる施設の充実度が大きい。クラブはエンバンクメント駅のすぐ近くにあり、観光名所としても非常に有名なトラファルガー広場から歩いて数分のところにある。ホワイトホールと呼ばれる、イギリス版の霞が関のような官庁街の北端に位置し、首相官邸(その住所をとって10ダウニング街と呼ばれることが多い)にも歩いて2分程度の距離にある。会議二日目の夜に首相官邸でレセプションがあったため、この場所が非常に重要であった。

 IDUリーダー会議の参加者は、主に各政党の国際局長の議員および国際部の政党スタッフだが、政党によっては、現職の首相・大統領や大臣が参加している場合もあった。主にヨーロッパの政党がメンバーだが、各大陸から参加政党があり、30を超える政党の参加があった。東アジアからは韓国のハンナラ党(現在の自由韓国党)と台湾の国民党 (KMT) が参加していた。日本の中道右派政党とされている自民党は、IDUスタッフの話によると、90年代の終わりごろまではメンバー政党だったとのことだが、既に離脱しており、なんとか日本の自民党との関わりを増やしていくにはどうしたらよいか、と頭を悩ませていたのが印象的だった。

 2012年はロンドンでの開催ということで、IDUの事務局と保守党の国際局が、主にその運営を取り仕切っていた。私は様々な雑務を手伝いながらも、そうした作業の必要がない合間の時間は、実際になかの会議場に入って議論を聞くことができた。緊縮財政などの具体的な政策トピックについての各国での政策事例の紹介とそれに対する質疑応答や、いくつかの国における中道右派の政党が勝利した選挙の勝因レポートなどがあった。木曜日は朝からこうした形で会議が続き、夕方頃に会議場に当時のイギリスのヘイグ外務大臣が到着してスピーチ・質疑応答が行われた。その後、会場のホテルから首相官邸に移りレセプションが開かれ、その後、再度クラブに戻りディナーという日程だった。

 日本的な感覚で、私のような運営側スタッフでしかも、年齢的にもずっと若い人間はディナーには参加しないものと思っていたが、各政党の代表者のテーブルのそれぞれに、運営側スタッフの席も用意されていた。「下っ端はお弁当をかきこんでその後の準備」などという発想は極めて日本的なのだと思い知らされた。IDUのこともそれほど知らず、政党の職員として長く働いた経験があるわけでもなく、非常に心細く感じながらも同じテーブルの参加者との時間を楽しんだ。私のテーブルには、オーストラリアの自由党Liberal Party)の代表者、ペルーからの参加者、IYDUというIDUの青年組織の副会長の女性などの面々が一緒だった。ディナーのスピーチは当時のイギリスのゴーブ教育大臣だった。BBCでの勤務歴もある、非常にスピーチの上手な政治家であり、「私はキャメロン首相ほど見た目は良くないが」などと冗談も交えながら、雄弁なスピーチをしていた。ディナーの終わりには、当時のIDUの会長であり、元オーストラリア首相 (在任期間: 1996年から2007年) のジョン・ハワード (John Howard) 氏が各テーブルを回って挨拶をしてくれた。私にも声をかけてくれて、日本人であることが分かると、彼が首相在任中に親交を深めた小泉純一郎元首相や安倍晋三首相との関わりにについて話をしてくれた。

 また、会議全体を通して、韓国ハンナラ党(現在の自由韓国党)の方々、台湾の国民党の方々とも、何度かお話をする機会があった。先方から見れば、政党の代表者にしては若すぎるが、東洋人の顔で保守党スタッフというイメージもなじまず、不思議に感じたのであろう。「日本人なんですが、こちらの保守党で働いています」というと、やや戸惑っているようだったが、同じ東洋人ということで、何度も声をかけてくれた。台湾からは国民党だけではなく、駐英国台北代表處という、事実上の在英国大使館の公使も参加していた。公使ということで非常にシニアな立場の方だが、私の両親が台湾出身であることが分かると、その後も何度も声をかけてくれたり、人を紹介してくれたりと、忙しさとプレッシャーに見舞われていた私に、心温まる瞬間を何度も与えてくれた。

 木曜日のディナーの後は、そのまま一部の方々と飲み続け、最後は保守党国際部の上司とスタッフ数名で遅くまで飲み続けた。金曜日は国外からの参加者が滞在しているホテルに会場を移して会議が続けられ、IDUの次期執行部の推薦・承認や、引き続き各国からのレポートなどがあり、会議の終わりには、とある国の大統領が参加してスピーチをするとともに、イギリスのキャメロン首相がスピーチをして閉幕した。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。