第5章(3)イギリスは拒否権プレイヤーが少なく、好みが似ている

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
 (1)日本の民主党政権ではイギリス式の政策決定プロセスの導入に挫折した
 (コラム)LSEのキャップストーン・プロジェクト
 (2)拒否権プレイヤーのフレームワーク
 (3)イギリスは拒否権プレイヤーが少なく、好みが似ている
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 まずは拒否権プレイヤーについての比較であるが、結論から述べる。イギリスは日本と比べて拒否権プレイヤーが少なく、かつ、首相と好みが似ているため、首相の設定した方向性に対して拒否権を発動する可能性が低い。

 制度的拒否権プレイヤーの数はイギリスが一つに対して、日本が二つである。イギリスは日本と同じく二院制を採用しているために、誤解されることもあるが、序章にて述べたように貴族院には法案に対する厳密な拒否権はない。日本は衆議院議員の三分の二を与党が占めるという特殊な状況がない限りは、参議院にも拒否権がある。

 政党的拒否権プレイヤーの数については、イギリスが1994年以降の平均が1.2であるのに対して、日本の1994年以降は橋本政権と小渕政権の間の僅かの例外を除いて常に連立政権であり、その平均値は2を超える。イギリスは歴史的には単独過半数を持つ政党が存在することが通常であり、2010年から2015年の連立政権は例外的な存在である。ただし、イギリスの保守党と労働党の二大政党の合計得票率が低下し続ける中で、2010年から2015年の連立政権が誕生しており、今後についてはこれまで以上に連立政権や少数与党政権が生じる可能性もある。

 与党内拒否権プレイヤーについても、イギリスはそもそも強固な派閥組織が存在せずその数も少ない一方で、日本には派閥組織がありその数も多かった。イギリスには保守党であれば、中道寄りの多数派と欧州懐疑派と呼ばれる右派の緩やかなグループがある。労働党であれば、ブレア元首相に代表される中道寄りのニュー・レイバー(New Labour)と労働組合に近い左派寄りのグループがある。しかし、イギリスの政党に強固な派閥組織が存在しないことは、保守党や労働党の与党時代における造反議員が、法案ごとに違うことを見てもわかる。彼らは、必ずしも派閥の単位で行動を共にしているわけではない。

 日本の場合には過去の中選挙区制時代に候補者の選挙資金を派閥ごとに確保したり、議員票中心の党首・代表選挙の中で派閥が重要な役割を担ったりするなど、派閥が政党ガバナンスの上で重要な役割を果たした。また、二院のいずれかは、与党の過半数がわずかであることから、数十名の派閥を組むことで拒否権を手にすることができ、与党議員としての影響力を高められるという側面もあった。一方でイギリスの場合には、そもそも候補者個人で必要な選挙資金は限られていることは述べたが、さらに、小選挙区制の長い歴史があるため、党内で派閥を組んで選挙資金を分けて集める必要もなかった。さらに、第2章(6)「首相を引きずり下ろすことは極めて難しい」で述べた通り、近年は政党の現代化(modernization)が進む中で、党首選挙が党員一人一票制で行われるようになったため*1、仮に派閥があったとしても、党首選挙における役割はあまりない。また、完全小選挙区制であることを背景に、二大政党の間の議席数が大きく変動し、与党が過半数を大きく上回る議席数を確保することが多かった。そのため、拒否権を持つほどの大規模なグループを組成することがなかなか難しかった。

 より細かく検討すれば、日本政治における派閥の役割は中選挙区制時代と現在では確実に異なり、小選挙区制時代でのその時々の政権の議席数や首相の立場など、様々な政治状況に依って変わりうる。イギリスも政権によっては、与党が過半数をわずかに上回る議席数しか確保できていない場合も多々生じてきている。ただし、日本とイギリスの間の大きな比較としては、イギリスには日本のような強固な派閥組織はなく、イデオロギーに沿った緩やかなグループが存在するのみである。

 拒否権プレイヤー理論の一般論の一つ目の、「拒否権プレイヤーが多いほど、政策安定性が増す」という結論を合わせて考えた際に、イギリスの方が拒否権プレイヤーの数が少なく、政策を変更しやすい環境があることが分かる。

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[図1] 拒否権プレーヤーの数

 さらに、拒否権プレイヤーの間の政策の好みについては、イギリスの方が各政党の所属議員の政策的な好みは近く、日本の主要政党の方が所属議員の政策的な好みのばらつきが大きい。

 イギリスの二大政党である保守党と労働党は、歴史的に、支持基盤と政治的イデオロギーが密接につながっていた。保守党は上流階級と中流階級を支持基盤として、再配分の小さな夜警国家(小さな政府)を志向してきた。労働党は公務員と労働階級を支持基盤として、再配分の大きな福祉国家大きな政府)を志向してきた。現代では社会的柔軟性が高まり、社会階級が消滅しつつある中で、保守党と労働党のニュー・ライトやニュー・レイバーと呼ばれる政治思想は両方向から中道に近づき、似たものとなってきている。それでも、このような歴史的な背景の中で、保守党はやはり中道右派労働党はやはり中道左派の政治思想をもっている。そのような考え方が末端の政党支部にまで浸透して、彼らが最終的に党の公認候補を選定しているため、党所属議員もまた中道のどちらに重心を置いているのかが比較的明確である。

 翻って日本の場合、主要政党や所属議員の政治的なイデオロギーのばらつきが大きい。冷戦構造下では自民党は非社会主義勢力の政党であり、その中には、夜警国家を目指す政治家も、福祉国家を目指す政治家も含まれていた。また、冷戦後の民主党は一党優位時代の自民党のアンチテーゼとして出発して、右から左まで自民党以上に幅広い考え方を持った議員が集まる政党となった。このような状況の中で、多くの新人候補者にとって公認を得る政党は、政党のイデオロギーではなく、公認候補を得やすいか否かや、自民党政治を肯定的にみるか否定的にみるかなどで選択された。その結果現在においても、自民党にせよ民主党にせよ、イギリスの二大政党と比べてイデオロギー的なまとまりが低く、政策の好みが異なる議員の集合体となった。

 拒否権プレイヤー理論の一般論の二つ目の、「拒否権プレイヤーの好み(政策選好)が離れているほど政策安定性が増す」という結論を合わせて考えた際に、イギリスの方が首相と拒否権プレイヤーの好みが近く、政策を変更しやすい環境にあることが分かる。

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[図2] 拒否権プレイヤーの政策選好

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[図3] (参考) 労働組合組織率の推移

 まとめると、イギリスの方が拒否権プレイヤーの数が多く、そして、拒否権プレイヤーを構成する個々の与党議員の政策的な好みが首相と近いため、首相が政策変更をしやすい環境にあることが分かる。ただし、日本やイギリスにおける、派閥をめぐる状況や、過半数を超える議席の比率、政党のイデオロギーの明確さを巡る状況は、日々変化しており、今後には不透明な部分も残る。

*1:ただし、党員が参加する本選の前に、下院議員票によって候補者を上位二人に絞り込む