第5章(2)拒否権プレイヤーのフレームワーク

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
 (1)日本の民主党政権ではイギリス式の政策決定プロセスの導入に挫折した
 (コラム)LSEのキャップストーン・プロジェクト
 (2)拒否権プレイヤーのフレームワーク
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 序章において、私がイギリスに行くに際して、自分自身に掲げた大きな問いは以下のものであったと述べた。「(イギリスとの比較で)日本の首相には大胆な政策変更が難しい理由は何であり、日本の民主党政権がそれを打破するためにイギリスから取り入れようとした制度はなぜうまく機能しなかったのか」という問いである。私が修士課程の2年目を過ごしたLSEでは修士論文としては標準的な一万語の修士論文を書くことが求められていた。私が在籍していたMPAというコースは、特定の学問領域に留まらない学際的な領域であるため、修士論文のトピックは自分の興味と修士論文としての現実性しだいで、ほぼ何でもアリであった。人によっては、非常に個別具体的な過去の政策の政策効果を分析していたし、理論に挑戦してある理論の一部を進化させようとしている人もいた。私の場合は、問いとしては先の大きな問いの前半部分である「イギリスとの比較で、日本で大胆な政策変更が難しい理由は何か」に答えることを目的とした。実際には「消費税増税」というケースを用いて修士論文を作成したが、本連載においては、これまでに紹介した内容を元にして、より一般的な形でこれを説明したい。

 まずは検討の前提条件である。これは、日本の首相もイギリスの首相も、内容は何であれ大胆に変更したいと思っている政策があり、それは日本の現行憲法に照らして合憲である、ということを大前提とする。そもそも変更したいものがなければ、なぜ、変更できないのかという問いに意味がない。また、イギリスは不文憲法であり、憲法に関わる内容も通常の立法プロセスで変更することが理論的には可能であるため、比較のためにも日本の現行憲法内での政策変更を想定する。次にその政策変更は、新たな法律の制定または既存の法律の改正もしくは廃止という形をとるという前提を置く。すなわち、日本であれば国会、イギリスであれば議会という立法府において、承認をされるものであるという前提だ。したがって、立法府の議員が、一般から目に見える形か、目に見えない形で、拒否権を発動しない限り、首相はその政策変更を実現することができる。

 その上で、拒否権プレイヤー理論の言葉を援用する。Tsebelisによれば*1、拒否権プレイヤーとは、連立政権を構成する各政党など、現状を変更するために同意を必要とする個人的ないし集合的なプレイヤーのことである。簡単に言えば、ある制度変更を止めることができるグループのことである。国連安全保障理事会において、五か国の常任理事国は、どこか一か国でも反対すれば決議ができないという意味で、拒否権を持っている。もっとも分かりやすい典型的な拒否権プレイヤーである。国内政治の現実の拒否権プレイヤーには大きく3つの種類がある。制度的拒否権プレイヤー、政党拒否権プレイヤー、与党内拒否権プレイヤーの3種類である。制度的拒否権プレイヤーとは、制度上のプレイヤーで拒否権を持っているプレイヤーであり、日本で言えば衆議院参議院の二者、アメリカであれば、大統領と上院と下院の三者が制度的拒否権プレイヤーにあたる。政党拒否権プレイヤーとは、連立与党の各政党のことであり、現在の日本であれば、自民党公明党が政党拒否権プレイヤーにあたる。最後に、与党内拒否権プレイヤーとは、各政党の中で法案を否決する規模をもつ議員グループであり、旧来の自民党の派閥が典型的な例である。

 そして、拒否権プレイヤー理論によると、一般論として、二つの結論を得ることができる。一つ目が、拒否権プレイヤーが増えるほど政策安定性が増す、すなわち、政策が変わりづらくなり現状維持傾向が高まるということである。理論上はこれが数学的に示されるが、素直に考えれば当たり前のことである。ノーと言える人が増えれば増えるほど、物事は決まりづらくなり、結果的に現状から変わりづらくなる。二つ目が、拒否権プレイヤーの好み(政策選好)が離れているほど政策安定性が増すということである。これも素直に考えれば当たり前である。ノーと言える人たちの考え方が違えば違うほど、物事は決まりづらくなり、結果的に現状から変わりづらくなる。国連安全保障理事会を例に考えると、仮に常任理事国である中国とロシアの代わりに、ドイツと日本が常任理事国であった場合、常任理事国同士の安全保障上の合意形成は格段にしやすいであろう。それは、アメリカ、イギリス、フランスという参加国に対して、日本とドイツの方が、中国とロシアよりも近いからである。

 しかし、拒否権プレイヤーは必ずしも自らの考えだけで行動を決定するわけではない。拒否権プレイヤーは様々なプレイヤーからの影響を受けて自らの行動を決定している。ここから先は三種類の拒否権プレイヤーを構成している、与党議員を対象に分析を進める。彼らは、首相/党首、有権者/マスメディア、地方議員/政党支部、ロビイング団体など、政治をとりまく様々なプレイヤーからの影響を受けて実際の行動を決定している。図1に示すように、首相/党首は論功行賞・懲罰、有権者/マスメディアは候補者や対立候補への投票、政治家のイメージ形成、地方議員/政党支部は候補者の選挙活動の支援や資金集め、ロビイング団体は選挙資金や集票サポートなどを通じて、ポジティブにネガティブに、与党議員のキャリアに対して影響を与えることができるからだ。こうしたプレイヤーの政策変更に対する選好と、拒否権プレイヤーである与党議員に対して与える影響について吟味する。

f:id:hiro5657:20210822080850j:plain
[図1] 拒否権プレイヤーに影響を与えるプレイヤー

 まとめるとこれ以降の本章では、拒否権プレイヤー、党首/首相、有権者、地方議員/政党支部、ロビイング団体の四者に焦点を絞り、図2に示すような項目で日本とイギリスの傾向の違いを明らかにする。結論としては、イギリスでは、拒否権プレイヤーの構成からして政策変更が行いやすい構造である上に、首相/党首による拒否権プレイヤーへの影響力が強く、かつ、有権者や地方議員/政党支部、ロビイング団体というその他の主要プレイヤーの影響力が弱い。それにより、イギリスの首相は自らの設定したアジェンダに則って、大胆に政策変更をすることが比較的やりやすいのである。

f:id:hiro5657:20210904111504j:plain
[図2] 日本とイギリスを比較する検討項目

*1:George Tsebelis (2002) Veto Players. Princeton University Press.