第3章(1)ロンドン市長選挙は因縁の歴史を持つ個人票が鍵を握る選挙である

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
 (1)ロンドン市長選挙は因縁の歴史を持つ個人票が鍵を握る選挙である
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 2012年の3月からの2か月間、私は、同年5月のロンドン市長選挙に向けて、現職の保守党候補ボリス・ジョンソン市長の再選に向けた選挙対策本部で働いていた。選挙戦略や選挙活動そのものでも学びになることがあるのではないかと思っていたし、選挙活動を通じてイギリス社会に対する理解も深まるであろうと期待しながら、その決断をした。選挙対策本部で指揮をとっていたのはオーストラリア出身のリントン・クロスビー(Lynton Crosby)である。彼はオーストラリアの中道右派政党の自由党Liberal Party)の選挙ディレクターとして1996年、1998年、2001年、2004年の総選挙で自由党の勝利をもたらし、ジョン・ハワード(John Howard)首相による長期政権の確立に大きく貢献した。2005年からはイギリス政治に活動の重心を移し、同年の総選挙では野党保守党の選挙を指揮して労働党に敗北を喫したものの、その後、再び成功を勝ち取ってきた。2008年と2012年のロンドン市長選挙ではボリス・ジョンソン選挙対策本部で指揮をとり、労働党優位と言われるロンドンで、保守党候補のジョンソンを市長へと導いた。その実績を引っさげて2015年の総選挙では、再び保守党の選挙活動全体の一切を取り仕切った。そして、単独過半数政党のないハング・パーラメントが確実、さらには労働党有利と言われた選挙において、保守党の単独過半数獲得を実現させた人物として注目を集めた。私は2012年のロンドン市長選挙で、彼の率いる選挙対策本部において、その中枢である政治・政策調査チームの一員として働いていた。

 戦う選挙が異なれば選挙制度も異なる。オーストラリアは選挙における投票が国民の義務であり、それに反する場合には罰金が科されるため、投票率が非常に高い。さらに、小選挙区制でも一人の候補者の名前を書くのではなく、候補者に番号で優先順位をつけていく。したがって、仮にある有権者のトップ3の優先候補者が二大政党のいずれかではなく、二大政党が4番目や5番目に来る場合でも、二大政党にとってはその有権者の票は一議席を決める重要な票となる。そのような選挙制度においては、より広くアプローチして、少しでも自らの順位を上げることが重要となる。そのような制度がないイギリスとでは、当然ながら、選挙結果を左右する有権者の行動心理も行動パターンも異なる。イギリス国内でも総選挙とロンドン市長選挙ではその制度が異なる。総選挙はあくまでも650の小選挙区の積み重ねでの最大多数を巡る戦いであることに対して、ロンドン市長選挙は1つのイスを巡る戦いである。クロスビーがその手腕をふるった数多くの選挙の一つ一つは、このように選挙制度が異なる。

 そして、選挙制度が異なれば戦略も異なる。だが、クロスビーがそれぞれの選挙で成功を収めることができてきたのは、そこに一貫した戦略的フレームワークがあるからである。ロンドン市長選挙という一つのケースをもとに、彼がどのような戦略でこうした選挙を戦ってきたのか、再構成していきたい。

 まずはロンドン市長の位置づけ、過去のロンドン市長選挙の結果、ロンドン市長選挙の選挙制度の概要について触れておきたい。

 現在のロンドン市長は、大ロンドン庁(グレーター・ロンドンオーソリティ)の首長であるので、大ロンドン市長と呼んだ方が正しいかもしれないが、英語の正式名称でもロンドン市長(Mayor of London)である。ロンドンには32の特別区(borough)とシティ・オブ・ロンドン(City of London)で構成される33の基礎自治体がある。これらの上位に位置する広域自治体大ロンドン庁である。ただし、イギリスの地方自治の構造は日本の制度ともかなり異なり、また、イギリス国内でも地域によって様々な構造があり、極めて複雑である。たとえば、33の基礎自治体を上位にある広域自治体ということで、日本で言えば東京都と比較されることも多いが、両者の機能は大きく異なる。大ロンドン庁は交通、警察、経済開発、消防、救急などに対して権限を持つ一方で、徴税や教育、社会福祉などには権限を持たない。さらに、その機能は基本的な戦略的な計画部分に特化しており、大きな行政組織を持っていない。それは端的に大ロンドン庁の職員数にも表れており、2014年の9月30日付で761名と、(警察官や教職員を含まない)一般行政職だけでも一万八千人規模の東京都庁と比較すると、その違いは歴然である。したがって、こうした行政的な意味では、ロンドン市長東京都知事と比べて、その影響力はかなり低い。

 しかし、ロンドン市長の持つ政治的な意味合いは決して小さくはない。イギリスでは直接の選挙で選ぶ公選市長は珍しく、ロンドン市長は数少ない公選市長の一つである。また、これまでに行われたロンドン市長選挙は2000年、2004年、2008年、2012年といずれも総選挙が実施されていない年であり、五月の第一木曜日という、イギリスにとっての選挙デーの中でロンドン市長選挙は、保守党と労働党の勢いを測るバロメーターとして象徴的な意味合いを持ってきた。また、大ロンドン庁の前身は1986年まで存続した大ロンドン評議会(Greater London Council、通称GLC)であるが、GLCのリーダーであった労働党のケン・リビングストン(Ken Livingstone)は、大ロンドン評議会の権限を用いて、国政のサッチャー保守党政権を攻撃した。それに対してサッチャー首相は、政治的な意図がどこまであったのかは想像にお任せするが、GLCを廃止する法律を国政で可決させてGLCを廃止した。これも、地方自治憲法で明文化され、地方自治体の改廃を国会だけで決めることができない日本とは大きな違いである。1997年からのブレア労働党政権はロンドン全体の広域自治体を設立することを公約に掲げ、住民投票を経て2000年に大ロンドン庁が設立され、ロンドン市長は公選市長とされることに決まった。こうした歴史をみても、ロンドン市長の政治的意味合いが小さくないことが分かる。

 2012年のロンドン市長選挙に至る経緯を把握するために、過去のロンドン市長選挙の概要を簡単に振り返りたい。2000年の市長選挙では、かつてのGLCのリーダーであり、当時、労働党所属の庶民院議員であったリビングストンが無所属として立候補した。リビングストンは労働党内の予備選挙でフランク・ドブソンに敗れ労働党の公認が得られなかったためである。労働党分裂選挙となったが、結果的には、リビングストンが保守党のスティーブ・ノリスを破り、初代ロンドン市長に就任した。サッチャーがGLCを廃止して実に14年後のことである。2004年の選挙では、リビングストンが労働党候補として立候補し、再度、保守党のスティーブ・ノリスを破り再選を果たした。2008年の選挙では、国政で労働党が徐々に勢いを失う中で、当時の保守党の庶民院議員であったボリス・ジョンソンが保守党候補として立候補し、リビングストンを破り初当選した。2012年の選挙では、ジョンソンとリビングストンのそれぞれが、選挙のおよそ一年半前に保守党と労働党の双方から公認を獲得して、またしても2人による事実上の一騎打ちとなることが確実であった。その他の主要候補は、緑の党のジェニー・ジョーンズ、自由民主党のブライアン・パティック、無所属のシボーン・ベニータなどが出馬を表明していた。

 キャンペーン戦略を理解する上で欠かせない、ロンドン市長選挙の選挙制度に触れておきたい。選挙方式は補足投票制(Supplementary Vote)と呼ばれるものであり、有権者は第一候補と第二候補の候補者を選択する。仮にどの候補者も過半数の第一候補を獲得できない場合には、まず、上位2人以外の候補の落選が決まる。そしてそれら落選議員に第一候補票を投じた有権者について、彼らの第二候補票が上位2人に投票されている票が上位2人で振り分けられ、合計得票数が過半数の候補者が当選となる。一方で、25の議席があるロンドン議会(London Assembly)選挙の選挙方式は小選挙区比例代表連用制(Additional Member System)で行われている。日本の衆議院小選挙区比例代表「併用」制と混同しがちだが、この制度ではまず、比例代表選挙の結果で全体の議席数が定まり、そのうち、小選挙区で当選した人数を除いた人数が、その政党が比例代表名簿から選出する議席数となる。また、大ロンドン庁法(Greater London Authority Act 1999)によると、何らかの理由で市長が任期途中で辞職した場合、次の選挙までの期間が6ヶ月以上ある場合には補欠選挙が実施されることになっている。その場合、新しい市長の任期は前任の残りの任期となるため、市長選挙と議会選挙のタイミングはずれないようになっている。そのため、基本的には首長と議会の選挙は同時に行われ、いわゆる市長と議会の「ねじれ」が生じる可能性は限られている。

 最後に、2012年のロンドン市長選挙の情勢を理解するために、過去の選挙結果と2012年の年初の状況について整理しておきたい。まず、総選挙の得票率に関しては、保守党が勝利した直近の総選挙ですら、ロンドンは労働党の方が得票率が高く、ロンドンは労働党の地盤とも言える土地である(図1参照)。

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図1
一方で、投票率の違いもあり、ロンドン議会選挙では両党の勢力は拮抗している(図2参照)
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図2
。そのような中、2000年・2004年の保守党候補は個人票を伸ばせなかったのに対して、2008年のボリス・ジョンソンは個人票でも互角に戦うことができたことが勝利につながった(図3・4・5参照)。
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図3
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図4
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図5
しかしながら2012年の年初の状況としては、2011年の暴動やリビングストン陣営の運賃低減政策により、世論調査でリビングストンがジョンソンを追い抜いており、厳しい状況に立たされていた(図6・7・8参照)。
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図6
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図7
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図8