第二戦線:政府と与党議員の関係

2週間ほど更新が滞ってしまいましたが、本日、またインタビューをしたので、更新したいと思います。本日は、以前にも少し書いた1922委員会という、日本で言うと与党の政策調査会に近い、保守党議員のための委員会の幹部の1人にお会いしました。以前、この議員の下でインターンをしたいと思って連絡をとってみたものの、今は人手が足りているということでインターンは叶いませんでした。ただその際に、私の変わった経歴に興味を持っていただき、今日のインタビューが実現しました。そもそも、1922委員会にとても興味があって、彼の事務所でインターンを希望していたので、今日もそのことを中心に質問をしました。

その冒頭で私が質問を始めた際に、私がどの程度の基礎知識があるのかを試す目的での、彼のクイズがなかなか秀逸でした。そのクイズは「1922委員会というのはいつ設立されたか知っている?」というものでした。少しでも1922委員会に興味を持って調べたことがある人ならほぼ全員が知っていると思いますが、1922委員会が設立されたのは1923年です。ただ、1922年に選出された非主流派議員(backbenchers)のための委員会であることから、この名前が付けられました。私が外からわりと容易に調べられることは調べてある、ということを前提に話をすればよいかどうか、を判断するのに相応しいクイズでした。

これまでのように事実を問うインタビューではなく、先方の個人的な見方や意見を問うインタビューのため、インタビューの内容そのものはあまり書きませんが、今回はこの1922委員会もしくは非主流派議員(backbenchers)に焦点を当てて書きたいと思います。これは、以前の「労働党との戦い」で触れた、保守党主流派(frontbenchers)から見た第二戦線でもあります。

1922委員会の目的は、主流派の議員と同じく個々の選挙区で民意を受けて当選し、議会では主流派議員と同じ一票を持つbackbenchersの、意見や懸念を政府の政策に反映することです。委員会には全体委員会と個別の政策領域ごとのpolicy committeeがあり、それぞれ週に1度、委員会が開かれ、翌週以降の議会の議事内容に対して議論が行われます。そして、その議論の内容が政権内に伝達されます。

日本のかつての自民党政策調査会とは異なり、この1922委員会での政策論議は、政府の政策に直接的な影響力を持っていません。1922委員会は政府の政策を「承認」する機関ではなく、あくまでも、そこに所属する議員の意見や懸念を「伝達」する機関だからです。なぜ、「承認」と「伝達」という決定的な差が生まれるのか、そこには、そのいずれかを「たまたま」選んだとうこと以上に、より深い理由があると思いますが、ここでは触れないことにします。いずれにしても、平時においては、1922委員会はあまり大きな影響力を持っていません。

一方で、大きなスキャンダルや支持率の急落などの、保守党の危機に際して、1922委員会はその真価を発揮します。現職党首に対して党首不信任案の採決は、backbenchersが過半数を占める下院議員だけで行われます。さらに、その党首選挙の日程や細かなルールは1922委員会が規定することになっています。したがって危機に際して、党首を交代させるべきかどうか、さらには、新しい党首をどのように選択するか、1922委員会はそこに大きな影響力を持ちます。

こうした1922委員会と政策調査会の仕組みの違い(より根源的なものも含め、他の違いもあると思いますが)もあり、英国と日本では、議会における政党の党議拘束の性格や、法案修正の頻度に大きな違いがあります。与党内の事前協議・承認がない英国では、こちらで紹介した重要採決Three-line Whip以外については、党議拘束もあまりなく、政府に対する造反も日常茶飯事です。また、事前協議・承認がないため、議会での法案の修正も日本に比べて多くなっています。

今では前述の通り、政府の政策についてはあまり大きな影響力をもっていないと考えられている1922委員会ですが、かつては「首相を呼び出す」と言われるほど影響力の強い委員会だったようです。それが、20世紀全体を通じて、だんだんとその影響力が小さくなり、逆に首相の権力は強くなりました。その過程においては、制度や社会の変化がありました。1922委員会に焦点を絞って、その権力の強弱やその源が、いかに変遷してきたのかを詳細に調べてみると、議会における権力の集権化と分散化について、面白い知見が得られるかもしれません。アカデミックな先行研究をきちんと把握していませんが、ざっと私が考えつくだけでも、実に様々な変化が背景にあるように感じます。

議会運営の(いつどの法案を議論するかを決める)主導権の議会から政府への移転、大臣の増加やスペシャルアドバイザーの増加などを通じた首相の権力の強化、院内幹事Whipの権力の強化、党首選挙の民主化(議員のみによる党首選挙から党員による党首選挙へ)などの制度の変更がありました。党首のパフォーマンスが、投票行動に影響を与えやすい浮動有権者層の拡大という、イギリス社会の変化もありました。加えて、メディアの影響力の拡大と共に、有権者の注意が党首を中心とするごく少数の議員に向けられ、結果的に相対的な力が党首にシフトする、という社会環境の変化もありました。一方で近年では、Backbench Business Committeeという、backbenchersが議事運営をできる委員会が設立されるなど、中央集権化に対するゆり戻しも同時に起きています。

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この第二戦線については、書きづらいことも多く、やや一般的な説明に終始してしまいましたが、イギリス政治の中でも時代を追って変化しつつあり、また、日本との比較においても様々な違いあることが分かるかと思います。

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さて、最後に1つお知らせですが、保守党調査部でのインターンは今週末で終えます。来週からは保守党のボリス・ジョンソン市長が再選を目指す、ロンドン市長選挙のキャンペーン本部でインターンをすることとなりました。ロンドン市長選挙は日本で言えば、東京都知事選挙のような位置づけの、非常に重要な選挙です。5月の第一木曜日に選挙が行われます。それまでの2ヶ月ほど、これまでよりも忙しくなると思いますが、とても楽しみです。引き続きよろしくお願いします。